いま、後期のグローバルエコノミー論の準備をしていて、伊藤元重『ゼミナール現代経済入門』(日本経済新聞社、2011年2月)、若林隆平『国際経済学』第3版(岩波書店、2008年)、浜矩子『「通貨」を知れば世界が読める』(PHP、2011年6月)などを読んでいる。
伊藤元重先生は、現役の経済学者のなかでわたしが一番信頼しているエコノミストである。
最近、特に東北大震災後、日本社会にける物の見方は激変しているので、どんな視点で世界の趨勢を捉えるべきか決めるのは以前よりも格段に難しくなっている。
伊藤先生の見方はバランスが取れていて、しかも現場(流通マーケット)の現状をフォローしているので、現実的であると思う。

でも、伊藤先生ほどの方でも、今年3月11日の福島原発の事故前に書かれた本の中では原子力発電は今後大いに発展が期待できる産業であると書いている。
わたしも東北大震災直後にセーブザチルドレンの国際救援チームと仙台で活動を共にしていたので、福島原発の衝撃は身に沁みているし、そのあと、自分なりに勉強し、セミナー等にも参加したので、現在では原子力発電というものが特に核廃棄物処理の面でまったく未完成の技術であり、コスト的にも決して安くはないことは分かっている。
でも、東北大震災前は原子力発電を廃止すべきかどうかなんて考えたこともなかった。
今や、極悪非道の組織の典型のように言われている東京電力だって、東北大震災が起こるまでは、多くの社員は原子力=化石燃料依存から脱却する切り札+将来性ある輸出産業(技術)と思っていたわけで、もちろん客観的リスクを見落としていた、あるいは見過ごしていたという意味で企業としての責任を逃れることは出来ないけれど、東電や経産省を悪者にしただけでは問題は解決しない。

要するに、それぞれの時代には主流派パラダイム(考え方の枠組)があり、このパラダイムから自由になるというのは、特に日本のような同調志向社会ではとても難しいということである。

伊藤元重先生は『ゼミナール現代経済入門』でケインズの高弟だった経済学者ジョーン・ロビンソン(英国)の「経済学を学ぶ目的の一つは、経済学者にだまされないようにするためだ」という言葉を紹介しているのだけど、有名な学者が言ったとか書いたことだからといって盲信するようでは、今のような激動の時代を生き抜くことはできない。

ということで、今年のグローバルエコノミー論は、今後の日本では増税は不可避かどうかについて学生達と考えてみようと思っている。
昔、財務省の幹部職員の方達とお話をした時、彼らの多くは将来的に増税は不可避であると考えていることを知った。
それで、「増税の代わりに寄付が増えるように税制を変えて、民間募金を原資とする社会サービス提供者が政府の役割を代替するような制度を作ったらどうでしょうか」と言ったら、とっても不満そうな表情をしていたことを覚えている。
当然です。
政府にお金が集まらなくなったら、政府の役人の権力も小さくなってしまいますから。
誰しも、自分にとって都合の良い政策を支持するものなのだ。
官僚=中立的、客観的正義の体現者なんて信じる人はさすがに今の日本では少なくなっていると思うけど、政府というものも組織である以上、自分の組織の権限・利益を拡大するために動くのは当然。
その動きが日本全体、世界全体のためになるような制度設計をし、ビジョンを立てるのが政治家の役割で、政治家がちゃんと仕事をしているかどうかを監視するのがマスコミと一般市民(主権者としての国民)の責任なのだ。
マイケル・サンデル教授は「日本では政治家が(復興支援のために)良い仕事をしていない。国民がそれを要求していないからだ」と述べていた。
そのことを授業で話して、日本の政治が悪いのは首相をはじめとする政治家にまともな人材がいないからだと批判する学生に、「良い政治が行われないのは、皆さんがそれを要求しないからだ」「今の日本がダメだとしたら、それは皆さんのせいです」と言ったら、その日のレポートで「今の政治家が選ばれた時(2009年秋)、自分はまだ高校生で選挙権もなかったので、今の政治が悪いのは自分のせいと言われれても納得できない」と書いてきた学生がいた。
子ども参加の重要性はこういうところにあると思う。
自分の意見が聴かれることのなかった者に結果責任を要求することは出来ない。
もし、15歳から選挙権があれば、こういう発言は出ない。
今回の東北大震災でも復興計画・ビジョンの策定の際に子ども達の意見を聴いたという話はほとんどない。
あと5年経ったとき、23歳以下の若者達には今作られた復興計画をきちんと実施する責任はない。
10年経つと、28歳以下の子ども達は全く別の計画を立て実行するかも知れない。
その時、彼らを咎める権利は日本の社会にはないのだ。

話が脱線したけれど、今日のテーマは増税の代わりに寄付(税金免除)が拡大するとどうなるか?である。
一般に増税しても、同額が公共投資に使われれば、同額だけGDPは増えると言われている。
でも、公共投資の増加は、民間投資を圧迫すると言われている。
消費税が増税されれば民間消費が冷え込んで、日本経済は失速するかもしれない。
さらに、変動相場制では財政政策の有効性は次第に失われてきている。

でも、一方で2010年度の政府予算では、政府歳出が約90兆円であるのに対して、税収は37兆円。
いろいろと事業仕訳は進んでいるけれど、当初期待したほど政府の仕事は減っていない。
一方、企業は莫大な余剰資金をかかえて優良な投資先がないので、その資金は国債に回っている。
国債は原資は減らないし、わずかながら金利がつくので、税金でまるごと取られるよりは企業にとってはずっと有利であることは間違いない。
でも、国債は将来世代の税金で返済されるので、結局は将来世代の負担で企業に補助金を出しているようなものである。

ということで、現在、政府が行っている仕事を民間で請け負う社会起業のビジネス・プランを募集して、最優秀のプランに対して広く私募債による資金を募集し、提供された資金については寄付として税免除の対象とするという制度を作るというのはどうだろうか?
ポイントは、公的資金による補助金ビジネスではなく、現在政府が提供している社会サービスを持続可能な形(一定の利益が出るビジネス)として実施するということである。
こういう形で少しずつ、現在、国債に流れている企業の余剰資金を社会起業セクターに誘導するのだ。
やがて、政府は税収37兆円でも十分にやっていけるところまでスリム化し、日本社会には起業家精神が横溢しているということになる。

まぁ、夢物語かも知れないけれど、これだけ政府(公的セクター)に対する信頼が低下している日本社会で増税を実現しようというほうがずっと実現可能性は低い気がするのは自分だけでしょうか?