天正遣欧少年使節之像

長崎空港から長い橋を渡ってきったところにある4人の少年の像。

1582年(天正10年)、この4人の少年たちは、日本人としては初めてヨーロッパを公式に訪問しました。天正10年とは本能寺の変があり、織田信長が亡くなった年です。伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、そして中浦ジュリアンの4人の少年は、本能寺の変の5カ月前に、長崎からヨーロッパを目指して旅立ちました。

苦しい長旅を経て、ヨーロッパに到着した一行は各地で大歓迎を受けます。特に、教皇グレゴリオ13世は彼らに好意的であったと言われています。熱病に罹って教皇との謁見式に出席できなかった中浦ジュリアンを教皇は自ら見舞ったそうです。

しかし、信長の死後、日本ではキリスト教の弾圧が始まっていました。4人の少年が帰国を許されたのは、天正18年の6月のことでした。

やっとの思いで帰国を果たした4人にとって、しかし、日本はもはや安心して暮らせる場ではなくなっていました。

伊東マンショ、原マルチノが比較的早く亡くなり、千々石ミゲルがキリスト教を捨てたあと、最後まで信仰を捨てなかった中浦ジュリアンは拷問を受けて殉教します。

「わたしは、この眼でローマを見た中浦ジュリアンです」中浦ジュリアンが、この世に残した最後の言葉です。

思想、信条の自由、そして自らの思想と信条を表現する自由。人類が、これらの自由を普遍的な基本的人権として承認したのは、1948年の「世界人権宣言」においてでした。天正少年使節が日本を旅立ってから400年近い月日が過ぎ去っていました。

 

 

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