コーチングとアメリカ

5日のコーチングでは、わたしのコーチを引き受けてくれたASAKOさんが、わたしの話を聞いているうちに泣いてしまうという不思議な体験を共有することになった。

コーチングというと、専門家が自分の特殊な知識と技能を使って無知な素人を導くみたいな語感があるが、実際はその場にいる二人の人間の共同作業であり、それぞれのロールとルールに基づく平等な人間関係が基本なのではないかと思った。

その晩、自宅に帰る途中にふと、こういうコーチングっていう手法を生み出した現在のアメリカ社会って、どんな状況にあるんだろう、と思った。

70年代だか、80年代のアメリカでは、確か精神分析医にかかることが大流行していたと記憶している。

当時、米国に滞在していて精神分析医の治療を試みに受けた日本人の若い女性、確か桐島洋子だったと思うのだけど、彼女は「これは日本社会の井戸端会議みたいなもので、内容的には何ていうことはない」と書いていたと思う。

要するに、個人主義が行き過ぎて、その結果、社会的地位とか収入によって話せる相手が狭く限定されて、本当に心を開く相手が見つけられなくなった「寂しいアメリカ人」が自分の心を支えるために生み出したのが精神分析医という仕事だという風なエッセイだったと思う。

でも、この精神分析医ないしカウンセラーという専門職というものが、一つの社会的権威となり、クライエントとの間に固定した上下の権力関係が確立されていった時、アメリカの人たちは、この権力構造、欺瞞性に気が付いて、普通の人たちが普通に向かい合ってお互いを肯定しあうことによってそれぞれの生きる力を取り戻すことが出来るという素朴な事実、<ほんもの>の平等な人間関係を取り戻そうって思ったんじゃないか、その結果、エンカウンンターグループとか、コーチングという手法が生まれたのではないか、と思ったのだ。

この背景には、アメリカの草の根民主主義の伝統、社会的メンタリティがあるのではないか。

もし、そうだとすると、アメリカの自由主義とか民主主義はまだ生きているのではないか。

そうであれば、現在のような強権的なアメリカは何時までも続かないのではないか、きっと近いうちに自由で、民主的で、平等な社会を取り戻したいと考える人々が力を取り戻して、<ほんもの>のアメリカが復活するのではないか、と思った。

まぁ、あまり根拠のない楽観主義かも知れないけれど、意外に正しい観察かも知れない。(^-^)

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