正解な「生き方」?

昨日、河合隼雄先生の『昔話と日本人の心』(岩波現代文庫)を読んだ。
鶴見俊輔先生が解説を書いているが、そのなかで鶴見先生は「明治国家の出現以来、義務教育をとおして識字率は増した。しかし、他人の話をきく力はおとろえた」と述べている。
 
異なった他者を認める力の衰え=他人の声をきく力の衰え=<ほんもの>の自分を見つける力の衰えだとわたしは思っている。
 
最近、大学の就職関係の人たちが異口同音に言うのは、会社が求めているのは「他人の話をきく力のある学生」という言葉。
でも、一方で日本の組織は上司の言うことに文句を言わず、言われたままに働く奴を求めているのではないか?
学校だって、自立した個人とか個性の尊重とか、他人の気持ちが分かる学生を育てるといいながら、実際には世の中が要求するモデルに子ども達をはめ込もうとしているだけではないのか。
 
わたしは1992年から94年まで国連に出向して、それまでの考え方が大きく揺らいだ経験がある。
それは、正しい基準とか価値観は一つで、それに従うことが善であるという考え方。
振り返ってみると、この考え方は学校教育を通じて密かにわたしたちの心の中に植え付けられていたものではないかと思う。
完全な解答というものがあり、そこから外れるにしたがって点数が下がっていくという評価制度のなかで、いつのまにかわたしたちはこの世の中にはいつも正解があって、そこから外れることは誤ったことという考え方を刷り込まれていたのではないかと思う。
結局、自分を含めて完璧な人間なんて一人もいないし、一人ひとりが違っていることが当然という意識を持てるようになったのは、自分が好きなことを発見して、好きな仲間達が見つかり、そのネットワークの中では自分はとっても大切にされるということを発見した後だった。
嫌な奴、自分と合わない奴と無理して笑顔で付き合う必要はない、世の中には自分のような人を好きな人間もいる、そのような人たちとだけつながっていけば楽しい人生を送れるという単純な事実に気が付くのに、わたしは40年近くかかった。
 
まぁ、日本も曲がり角だよねぇ。
 
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