学問のすすめ

最近、福沢諭吉の『学問のすすめ』を再読する機会があった。
始まりは丸山眞男を論じた小熊英二の『民主と愛国』(新曜社)である。
小熊によれば、1946年に丸山が発表した「超国家主義の論理と心理」は、日本社会には近代的な「私」が確立せず、「公」と「私」の明確な境界線がないことを指摘したものであり、丸山は当時、日本における民主化の必要性を訴え、民主化を通じて日本に真の近代を実現すべきであると主張したとされる。
この時代(戦後の10年間)には、民主化と愛国主義は密接に結びついていたというのが、小熊英二の洞察なのである。
やがて、この民主主義と愛国主義の蜜月時代は終わるのだけど、21世紀に入ってナショナリズムという問題は再燃した。
コスモポリタンであることを自分のアイデンティティと考えていたマイケル・イグナティエフが世界の紛争地を訪れ、米国の9・11を体験し、自由民主主義をナショナルアイデンティティとする米国への愛情を明らかにしていく過程は、個人におけるナショナルなアイデンティティの必要性を暗示しているようにわたしには思われる。
日本人は、戦前・戦中に日本を跋扈した超国家主義への嫌悪感からナショナルなもの自体を忌避してきたのだけど、その結果抑圧されたきたナショナルな誇りを持ちたいという国民的願望が21世紀に噴出してしまった。
それはともかく、丸山眞男というのは興味の尽きない思想家だなぁと思っているうちに、ふと目についたのが小林正弥『丸山眞男論』(東京大学出版会)。この本は、丸山眞男という思想家に関する最も包括的な研究の一つである。
そして、結局、福沢諭吉自身の作品を読むことになった。
「分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達することなり」
「かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば、これを包みかくして暗に上を怨むことなく、その路を求めその筋に由り、静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべし」
「天理人情に叶う事ならば、一命をも抛て争うべきなり。これ即ち一国人民たる者の分限と申すものなり」
日本の近代化の初期に福沢のような思想家を持ったことは、本当に日本にとっての大きな幸せの一つに数えることが出来るような気がする。
格別日本だけが四苦八苦しているわけではなく、米国を含む他の国でもそうだけど、「近代化」というのは、なかなか難しい歴史的企てなのだと思う。
まぁ、お勉強が必要です。(^-^)
 
 
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