日本の未来?

90年代に入り、日本経済がなぜ突然失速したのか、については様々な説明が行われている。
結局、70年年代に始まっていたIT技術の発展を中心とする知識とコンピューターを基礎とする知価社会への転換に日本が乗り遅れたためというのが、おそらく正しい分析であろう。
中央集権的な経済運営が行われている社会、国家は自由で仮借の無い競争が新しいイノベーションを加速する分権社会には勝てなかったということなのだと思う。
1945年にファシズムが敗北し、1989年には共産主義が敗北した。
そして、「政治の管理をうけない官僚制の絶対的優位という状況」(P.F.ドラッカー『未来への決断』p.372)にあった日本も、同時期に敗北したのである。
 
知価社会の全貌はまだ明らかではない。
しかし、80年代までは日本経済の特徴とされていた護送船団方式、終身雇用、銀行による企業支配などが、90年代以降、ことごとく衰退していったことを考えると、これからの社会は自分に責任をもち、特定組織に依存しない人間が理想とされるようになる気配が濃厚である。
事実、現在の日本では「自立した個人」こそ実現すべき国家的目標となっている。
 
しかし、一方で高まる「自由」への恐怖から、これまで60年間息をひそめていた排外的愛国主義が急速に息を吹き返してきている。
ナショナリズム自体は、国民国家体制において不可欠な社会資本の一つである。
要は健全なナショナリズムを育てることなのだ。
健全なナショナリズムとは、わたしの考えでは自由主義、民主主義をナショナルアイデンティティとすることを目指すものである。
そして、異質な他者に対して開かれていなければならない。
 
日本は少子高齢化社会を迎えるといわれて久しいが、その原因は消極的な外国人受入と国内における硬直的な労働慣行にある。
出産、子育てが女性のキャリア形成にマイナスに働くような労働慣行が支配的な社会では、どれほど補助金を出しても、女性が子どもを産もうという気にはならないだろうし、異質な行動、価値観をもつ者を暴力的に排除ないし圧殺しようとする組織文化が支配的な社会に外国人は定住しようとはしないだろう。
 
この国は、いま、大きな歴史の分岐点を迎えているのだろうな。
 
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