日本の近代―未完のプロジェクト

米国の政治学者シーモア・リプセットは1960年当時、民主主義は経済発展=資本主義の結果であるという仮説を提起しました。
リプセットは経済発展とは富、工業化、都市化、教育の発展過程として捉えることができると考えました。
しかし、この経済発展=民主化という単純な歴史仮説は、戦間期におけるイタリアのファシズム、ドイツのナチズム、日本の軍国主義の台頭を説明できないという問題に直面します。
経済発展の中間段階で、一部の国が民主化に失敗したのは何故か?
その後の近代化論は、この問題を整合的に説明できる理論の構築を目指します。
修正近代化論が着目したのが、所得分布です。
所得分布の悪化が犠牲となった階層の不満を増幅させ、社会的・政治的不安定をもたらし、民主主義体制を掘り崩すというのが、その主張の骨子です。
修士課程時代のわたしの指導教官である速水佑次郎先生は、『開発経済学』(創文社、1995年)のなかで、この経済成長と所得分配問題を取り上げています。
速水先生の説明によると、工業化の初期には資本蓄積を伴う所得分配の不平等化が発生します。
 
この所得分配を盛り込んだ近代化論を日本の戦間期をケースとして検証したのが、南亮進他『所得不平等の政治経済学』(東洋経済新報社、2000年)に所収されている南亮進&ウェンラン・ジャン論文「所得分布の社会的・政治的衝撃:日本の経験」です。
この論文によると、1920~30年代における農村・都市の所得格差の拡大と都市における近代的高生産部門と非近代的低生産部門の間の所得格差の拡大は、社会・政治の不安定要因となったのです。
所得間格差の拡大は政党政治を通じた漸進的改革に対する信頼感を失わせ、農民の窮状は農民への同情と財閥を中心とする経済・政治体制に対する不満を醸成し、軍国主義へ共感する土壌を生み出していったわけです。
 
一般に技術的近代化(工業化)、政治的近代化、個人的意識の近代化は、この順序で進むと考えられています。
遅れて近代化を開始した途上国は、先進国が開発した最新の科学技術を利用できる「後発国の利益」を享受することができるからです。
政治的(制度的)近代化はその次に実現します。
日本でも1889年2月11日には大日本帝国憲法が発布され、翌1990年には帝国議会が開設されます。
1924年(大正13)より1932年(昭和7)の間には、政友会と憲政会(民政党)による二大政党制が実現していたのでした。
しかし、近代社会を支える個人の意識、テイラーの用語で言うところの「近代社会像」というものは戦間期の日本では確立しませんでした。
こうして、大正デモクラシーに象徴される日本の民主主義は崩壊したのでした。
 
日本における所得分布は、90年代以降、急速に不平等化してきています。
NHK文化放送協会が1973年以来続けてきた「日本人の意識調査」は、国民の権利に関する知識はこの30年間で低下してきている事実を指摘しています。
日本の近代は、「未完のプロジェクト」として終わるのしょうか?
戦後の民主主義教育の真価が今、問われようとしています。
 
 
 
 
 
 
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