パセティックロゴス

昔、ユニセフの会議に出るためにジュネーヴに出かけた時のこと。
朝、レストランでユニセフの職員で哲学の好きな、たぶん、そろそろ定年間近という女性と話をしたことがあります。
彼女は「人と言うのはロジックだけでは動かないもののようだ。パトスが人を動かすみたいなんだよな。」とギリシャ哲学を引き合いに出して話し出したのです。
このテーマは、わたしがその頃からずっと考えていたことで、「今、自分はパセティック・ロゴスとはどんなものであり得るのかということを考えているのです」と答えたら、その彼女は「そういうもの(パセティック・ロゴス)というものがあり得るのかどうか、調べてみる必要がある」と言っていました。
 
ロゴスとは論理または理性。
パトスとは感情とか感性のこと。
 
かつて三木清は『構想力の論理』の中で「ロゴスとパトスを総合する力」として「構想力」を考えたが、やがて「構想力の論理」とは「形の論理」であることが分かってきたと書いています。
そして、三木清が「構想力の論理」として想定していたのは、実は「行為の哲学」であり、「行為」とは広い意味において「ものをつくる」ことであると自らの論理を展開していったのです。
そして、技術の根本論理は「形」であり、技術は科学を基礎とするから、構想力の論理は科学の論理に媒介されることによって現実的な論理に発展し得ると三木は考えたのです。
 
パセティックロゴスの倫理学こそ、人を動かし得る「行為の哲学」であり得るのではないか。
わたしの心に今朝やってきた直感です。(^0^)
 
 
 
 
 
 
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