正しいということの意味?

誰についても、どんな時にもあてはまる倫理上の原理はあるのか?という問いは、未だに解かれていない大問題の一つです。
人を殺すことは何故いけないのか?
数年前に日本社会で大議論となったこのテーマも、まさにこの倫理上の大問題に関わっています。
 
常識的にひとの命を奪うことは正しくないし、善くもない。
その意味では、正義にもかなわず、公共の善でもないと考えられています。
では、死刑囚に死刑を執行することは正義に反し、公共の善に反するのでしょうか?
愛する者が事故によって意識を失い、二度と意識を取り戻す可能性がないとき、生前彼が(あるいは彼女が)言っていた通り、生命維持装置をつけることを医師に対して拒否した妻・夫は、正義の原理にかなった行為をしたのでしょうか?
 
一方、この世は実在するのか、要するに自分が生きていようがいまいが、この世は存在し続けるのか、それとも自分がいるから世界は今見えるように存在している(とに自分にとって見えている)だけなのか、という実在論vs非実在論の存在論上の論争は未だに決着をみない哲学上の大問題です。
わたしたちに見えているように世界はそのまま存在しているということのは、わたしたちの常識的見方です。
しかし、わたしたちが見ている世界と実在するという世界はどのように対応しているのでしょうか?
どうやら、わたしたちが持っている世界に関する表象あるいはイメージは、必ずしも一貫したものではないようです。
 
一方、ひとは異なったケースでは、異なった判断基準を採用していることが分かってきています。
 
この二つをつなげると、人間は世界をあるがままに認識するわけでもなく、普遍的で一貫した倫理基準にしたがって行動するものでもないという結論が導かれます。
 
まぁ、日常生活に即して考えると、とっても当たり前の結論というか観察ですけど、これを論理的に説明することは結構な大仕事なのです。
 
ちなみに、この倫理学上の問題と、存在論的問題をつなげて考えている人がこの世にいます。
まぁ、世の中、どんなことにも対角線は引けるというのが、わたしの師匠筋にあたる松岡正剛さんの教えなんですけど、この世があるのかないのか、という問いと、世の中どこでも通用する普遍的な道徳律はあるのか、という問いを同じ地平で考えようというのは、結構野心的な企てではあります。
 
こんなことを考えているうちに、わたしの大型連休は終わろうとしています。
幸せな人生ですよね。(^-^)
 
 
 
 
 
 
 
広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中