研究者への途

今朝、この夏最大の課題ともいえる、ある研究助成金への申請手続きの作業が無事に終了した。
アジア女性交流研究フォーラムからいただいて2年間の研究助成も来春で終わるので、その後の研究を続けるための資金申請である。
研究助成金の申請は自分の研究の現時点での評価、将来性などが客観的に評価される貴重な機会である。
採択されれば、それはそれでとってもうれしいことだし、採択されなかった場合でも自分の研究計画を見直す貴重な機会になる。
 
でも、考えてみると、2002年に早稲田大学の博士後期課程に入学し、古賀勝次郎先生のご指導の下でこつこつ勉強を重ねて、拙い論文を書き続けているうちに、大学教員への途が拓かれたり、研究助成金がいただけるようになった。
 

今年の11月には日本法哲学会の全国学術大会で研究報告をさせていただくことになった。これも三年前には考えられないような大きな機会である。

来年11月に法哲学・社会哲学国際学会連合がポーランドで開催する世界学術大会では、スペシャルワークショップをやらせてもらえることになった。
これも大きなチャンスである。
 
でも、ふと思い出したのだけど、2003年秋、名古屋で行われた経済社会学会の全国大会で初めて研究発表なるものをしたとき、古賀先生がわざわざ東京からきて司会をしてくださったにもかかわらず、途中で何を話しているか分らなくなり、ぼろぼろで終わったことがあった。
あの時に懇切丁寧かつ的を得たご指導でわたしを励ましてくださったのが、早稲田大学社会科学研究科の速川治郎名誉教授だ。
速川先生は、そのあと、77歳で『人間の論理』という大著を出版された。
修士課程の時にご指導を賜った開発経済学、農業経済学の速水先生も75歳でまだ現役。
学者というのは、情熱と好奇心さえ失わなければ、いつまでも続けられる仕事なんだなぁって思う。
しかも、基本的に20歳だろうと、80歳だろうと研究の現場に立ったときは対等である。
どちらの研究がより優れているかということだけが評価の基準になる。
この辺りも自分が研究者という生き方が好きな理由である。
 
それにしても、こうして振り返ってみると、3年前には研究者としては本当に棒にも箸にもかからないようなレベルだったのだ。
それが、そのあと3年でここまで来た。
あの頃は全くのズブの素人だった自分が今や一人前(とはまだ言えないけど)に近い研究者として世間を横行できているのは、本当に早稲田大学の教育力、指導力の賜物だと思う。
どう考えても、自分が研究者としての天性の素質を人並み以上に持っていたとは思われないのだから、やはり指導者、そして切磋琢磨する仲間がいる大学院という環境は絶対に重要である。
 
それと研究という活動が持っている意外性も自分のような生来、放浪癖がある人間には向いていると思う。
今、アジア女性交流研究フォーラムからいただいている研究資金で進めている表現アートを活用したリサーチワークショップも最初はまさかこんな形になるとは想像もしていなかった。
そう言えば、古賀先生も繰り返し「大学院生は論文を書け」と指導されていた。
そして「書いてみないとどういう論文になるかは分らない」ということもよく言われている。
この、歩いているうちに、思いもかけないところに行ってしまうというのが、フーテンの寅といわれている自分の性格にはとっても合うのかも知れない。
もっとも、時々とんでもない脇道に入ってしまうこともあるけれど。
 
秋は学会シーズンである。
まだまだ書かなければならない論文が何本もある。
一つ一つこなしていこう。
 
 
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