危うし、日本

「帝国日本の亡霊を撃て」
今月26日〆切りの論文を書いていてアタマに浮かんだフレーズ。
夏に書く論文はなぜか時事性が強くなる。
2004年は4月に起きたイラクでの人質事件とその後の全国的バッシングを取り上げた。
昨年(2005年)は、近年日本国内で高まってきたナショナリスティックな感情がどこから来たのかを考えた。
 
今年のものは井上達夫先生の『他者への自由』を批判しつつ、戦後の日本が一つの国家的な構想、大きな物語にコミットすることを避けてきたことの功罪を考えてみる予定。
1789年のフランス人権宣言以降、世界は次第に絶対王政から民主主義国家体制へと移行すると思われた。
しかし、19世紀後半に入って国民国家はナショナリズムという亡霊を生み出し、そこから帝国主義、反ユダヤ主義などが広がっていったのである。
2回の世界大戦を経て、世界はナショナリズムの亡霊から解放されたように一時は思われた。
少なくとも、日本の社会から戦前のような狂信的ナショナリズムは消え去ったと思われたのに、近年の国内の情勢を見ると、このナショナリズムという亡霊は決して消え去ることはないようだ。
 
民族主義的ナショナリズムに対してシヴィックナショナリズムを代置するというのが、この問題に対する常識的な対策だけど、問題はシヴィックナショナリズムを支える共通信念が国内の間に根付いているかどうかである。
まぁ、戦後日本の民主主義の成果が問われる正念場である。
 

 

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