私の脳は30歳(^-^)

今、ソフトバンク系の人材派遣会社のオンライン診断をやってみたら、わたしの脳の年齢が出てきた。
結構、悪くないかな(笑)。
 
それはともかく、10月2日はいよいよ博士論文の公聴会。
今朝、今年3月に提出した最終版をすべてプリントアウトした。
読み進めていくうちに、自然に胸が熱くなるのは、やはり、それだけ思い入れがあるってことなんだろうな。
 
考えてみれば、2002年4月に早稲田大学社会科学研究科博士後期課程に入学してから、早いもので4年が過ぎた。
飽きっぽい自分がこれだけの期間、しかも、その間に2回も転職しつつ、論文を書き続けられたのは、本当に指導教官と仲間に恵まれたお陰である。
 
ちなみに、博士論文概要書の冒頭はこんな感じ。
本論文は、これまでの実践活動を通じてわたしが感じてきた人権の普遍性に関連する問題について、マイケル・イグナティエフおよびチャールズ・テイラーの作品に基づき考察を試みたものである。
そもそも、人権はいかなる意味で普遍的なのだろうか。わたしは、多文化の下での人権の普遍性を検討する際、既存の文化を前提として、現行の人権思想との整合性を議論することは二重の意味で過ちであると考えている。第一に、人権思想自体が、西欧近代社会において成立した歴史的産物であり、西欧社会の文化的偏向を反映しており、これをそのまま受容しようとすることは、個人の基本的平等から導かれる各個人の属する文化、民族、国家間の基本的平等という人権思想の内在的原則に反している。第二に、それぞれの文化の内容は所与のものではなく、その内容を決める権利は個人にあるという人権思想のもう一つの原則である個人の自律性を無視している。つまり、ある文化の下で人権という思想は定着し得るか、という問いには現在の人権思想自体と当該文化に対する批判的吟味が伴っていなければならない。
わたしは、国際人権という理念は、各々の文化において異なった基礎付け、原理的根拠を見出すべきであると考えている。そのためには、(1)現在の人権思想のどの部分がその誕生の地である西欧社会の文化的偏向を反映した特殊西欧的なものであるかを明らかにするという社会思想史的分析、(2)特殊西洋的な部分を取り外した人権思想はどのようなものとなり得るのかという哲学的検討、(3)人権という新しい思想を受け入れるために、特定の文化にとっていかなる変容が求められるのかという文明論的検討という三つの作業が不可欠である。」
 
 
 
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私の脳は30歳(^-^)」への2件のフィードバック

  1. 『人権をひらく』を本屋さんで探そうと思っていたところに、ブログのタイトルが飛び込んできました。読みました。二日に臨む緊張感まで こちらに内容のよさとして心地よく伝わってきます。論文は話題を呼ぶ事と思います。ご成功をお祈りしています。
    私としても 色々と教えていただきたい気持ちが強くあり沸き起こっております。あいま あいまに 宜しくお願い申し上げます。

  2. 温かい励ましのお言葉をいただき、誠にありがとうございます。
    まだ、フィリピンツアーの余韻から完全には抜け出せていないのですが、自分の公聴会まであと1週間。
    気持ちを入れ換えて、準備を進めたいと思います。
    そして、博士号を取得したら、ほんとうの研究者を目指して新たな途に踏み出そうと考えています。
    秋は旅立ちの季節なのでしょうね。
     
     

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