ヘーゲル『大論理学』

自分の博士論文公聴会における質問、コメントはヘーゲルに関連するものが予想される。
テイラーという人がヘーゲル研究から出発した思想家だからだ。
それで、今朝ヘーゲルの『大論理学』を読み返してみた。昨年春、テイラーの『ヘーゲル』を読むために買い込んだ武市健人先生の訳されたもの。
すると昨年は理解出来なかった箇所が今は分かるようになっていた。
その後、テイラーの議論を読み返すと、こちらも昨年はよく理解出来なかったところがもう少しよく分かるようになっていた。
ヘーゲルの論理学のどこが破綻しているとテイラーは考えたのか、そしてテイラーは何故ヘーゲルを最初に取り上げたのかが見えてきたのである。
公聴会に向けて更に一歩前進。
もっとも、ヘーゲル哲学を理解するにはそれだけで十年はゆうにかかるわけで、とりあえず自分の博士論文に関係するところが分かればOKとしなければいけないでしょう。
 
ちなみに、昨年春、テイラーの『ヘーゲル』を読んで書いた私の論文「現代日本のアポリア」のさわりはこんな感じ。
「わたしは、西欧社会のように絶対者を想定しない汎神論的世界観を基層文化に持つ日本社会において、如何に「近代社会」が要請する自律的個人として自己意識を確立するかという課題こそが、現代日本が直面する最大のアポリアであると考えている。」
テイラーによれば、ヘーゲルは西欧社会の近代化に伴う精神性の衰退という現象を、「精神の叙述」としての「論理学」の構築を通じて解決しようと試みた思想家である。わたしには、ヘーゲルの「ガイスト(宇宙的精神)」「弁証法」とは、近代社会が発展するなかで失われていくように思われた精神性を哲学としての論理学によって復活させるために考案されたものであると思われる。つまり、(1)ヘーゲルが目指したものは、近代化の中で見失われていく超越的な精神性(人間を超越した絶対的精神の実在)の再生であり、(2)ヘーゲルの「論理学」は、「精神」をその内在的、必然的な論理の展開のみによって明らかにすることによって、唯一絶対神の存在を前提とせずに、人間を超越した絶対的精神の実在と世界史はこの絶対的精神の発展過程であることを証明することを主要な目的の一つとしていたとわたしは考える。
ヘーゲルの企ては西欧社会が忘れ去った神話を弁証法という論理によって再興しようとする試みであったと見ることも可能なのである。
日本において近代的な自律的個人意識を確立しようとする試みが、日本的霊性の近代的復権を必要とするとすれば、その企ては、ヘーゲル哲学から多くを学ぶことが出来るように思われる。」

 

 

 

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