愛する気持ちを行動へ

人には誰しも大切にしているもの、愛情を注いでいる対象がある。
個人であったり、組織であったり、理念であったり、動物だったり、物だったりする。
 
最近、自分はハイデガーの『存在と時間』を読み直している。
というより、本格的に読み始めたというほうが当っている。
ハイデガーは最近、認知科学の世界でとっても関心を持たれている。
人間という主体が、自然とか社会という客体を認識するという図式では「自己意識」にはアプローチできないということが分ったからである。
世界-内-存在として人間を捉えるハイデガーの思想は、内観によってしか到達できない人間のクオリア(質感)、意識にアプローチする上で、何かたいへん有益な見方を提供してくれるのではないかという期待が寄せられているのである。
このハイデガーの思想の延長線上に志向性の哲学というたいへん魅力的な研究分野が存在している。
人間存在を根源的に捉えようとしたとき、それはどのように捉えられるのかという問いを巡る研究を行っている領域である。
 
この世界の人たちの間では人間を志向性を持つ存在として把握しようとする見方が共有されている。
要するに、どこへ向うか分らないけど、何かどこかへ向おうとするのが人間の基本的属性であるという見方である。
愛する気持ちも、そのような志向性の一つの表れである。
 
昨晩、フーテンの寅さんをまたテレビで見た。
人を行動に突き動かす原動力の一つは何かを愛する気持ちである。
 
愛するものを幸せにしようとか、愛する人のそばにいようとか、愛する組織のために働きたいというのは人間をもっとも真剣な行動に駆り立てる原動力である。
その根底には、その人だけの人生に向けた始原的な志向性があるというのが、目下の私の学問上の仮説である。
この点を、11月25日に行われる日本法哲学会全国学術大会で発表して議論してみようと思っている。
 
挑戦の秋。
次のテーマは「愛と志向性」かな?
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