自分って何?

自分って何?という問いは多分、少し前に流行った「自分さがし」ブームの中で、もっとも頻繁に使われたフレーズだろうと思う。
自分らしい自分って何?とか、自分にあった職業って何だろう? というのは多分、今でも多くのひとの心を占める問いであり続けている。
でも、こういう形で問い続けると、大概人生は上手く行かない。
何故か?
ひとというのは孤立して「存在」しているわけではないので、自分って何?と今の自分の「中」を探求し続けても、たまねぎを剥いてゆくようなもので、「ほんものの自分」は見つけられないからだ。
自分探しをしている若者にオススメなのは、自分が尊敬できる人、生き方、職業を見つけて、そんな人になるにはどうしたら良いかを調べることである。
 
なぜか?
たぶん、自分らしい自分を探すための問いとして「自分って何?」というのは適切な問いではないからだろう。
自分らしい自分は未来にしか存在しないわけで、そういう自分になるためには未来に賭ける姿勢が必要なのに、「自分って何?」という問いは過去の自分を振り返る方向にひとを導き易いからではないか?
だから、多分、本当は自分らしい自分で「在る」とはどういうことなのか?と問うべきなのだ。
 
そして、ひとが「在る」とはどういうことか?と探求したのがハイデガーなのである。
このハイデガー哲学が、近年、認知科学の世界で見直されている。
ハイデガーのひとの「あり方」に関する捉え方が認知科学が探求している、人間の認知構造を理解する上でたいへん重要な見方を提供するからである。
それは、ひとは関係性を求める存在であるという見方であり、そもそもひとは関係性の中に「在る」という考え方であると言えるように思う。
そして、ひとをそのように仕向けるものこそ、「情報」なのだ。
情報とは意識と知識の関数であると書いたひとがいた。
情報とはイメージやシンボルのことだろうと思う。
世界とは、さまざまなイメージやシンボルによって構成される時空間である。
そして、これらのイメージやシンボルの一部が言語のような記号(コード)になる。
イメージやシンボルはお互いに結びつこうという指向性を持っている。
ひとは、DNAの乗り物に過ぎないと言った生物学者がいた。
しかし、より正確には、ひとはイメージやシンボルそのものなのではないか?
 
人権ワークショップの中で、よく言う言葉がある。
「ひとはつながっている時に幸せを感じ、人を含む何かから切り離されたときに悲しみを感じるのである」
そうです。
 
情報はひとりではいられない。

これは、わたしの師匠筋にあたる松岡正剛先生のお言葉。

 
ひとは自ずとつながっていこうとする指向性を持っているのだ。
 
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