いよいよ本番(^-^)

あと5晩寝ると、山口大学で行われる日本平和学会秋季学術大会。
報告者の池田先生とは何度かメールで意見交換をしてきて、自分の研究との接点も分かってきた。
スポーツという観点から身体と精神の関係を考えるというのは、なかなか面白い。
自分もいろいろと考えてきたのだけど、やはり、ここは自分の本来の立ち位置に返って、近代を自己理解の形式の革命と捉えるテイラー史観の立場からコメントすることにしようと思う。
 
「近代=キリスト教に基づく身分制社会からの個人の解放」と捉える立場と「近代=他者(社会)によって規定される他者規定的自己から自己規定的自己(self-defining self)への変化」と考える立場はどう違うのだろうか?
テイラーは、前者の見方では、現代においても意味のある視角を捉え損なってしまうと語っている。
絶対的な自由はアナーキーに陥ることを踏まえ、人間の自由はを社会に位置づけられたものとして正当化されなければならないことを考えたとき、近代=自己規定的自己の誕生と見る見方は確かに現代に通じる問題を明らかにすることが出来るように思う。
 
ただ、自分が山口大会で提起しようと思っているのは、自己規定的自己には身体=感情=自然が含まれているということである。
テイラーは近現代を、啓蒙主義的合理的理性とロマン主義的表現主義の絡み合いの歴史として把握するわけだけど、このテイラー史観はロマン主義が安易に超国家主義に接続される危険をはらみつつ、依然、現代に生きる我々が直面する精神と身体という問題を考える上で有効な立ち位置を提供しているように思われる。
 
初心に帰って、テイラーを読み返して、山口大会に臨もう。
 
挑戦の時である。
 
 
 
 
 
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