心をとざすこと、眼をつむること、口を閉ざすこと

この週末は北九州で行われたアジア女性会議に参加した。
主催団体のアジア女性交流・研究フォーラムの客員研究員として、自分のこれまでの研究発表をするためだったのだけど、同時にESD(Education for Susrainalbe Development)のお話とか、外国人介護労働者の問題など、これまでまとまって勉強したり考えたりすることが出来なかった問題について勉強する良い機会になった。
 
その時、ある方が言われていた言葉がこれ。
今の時代はいろいろな意味で生きていくことが難しい。
自分の信念と違った考え方や生き方に直面したり、そういう人たちとも一緒に仕事をしなければならなかったり・・・。
そういう時に、自分がその時考えていることを常に正直に話そうとしたら、何も物事が進まなくなることは当然だ。
その時、口を閉ざすという選択が当然あるわけだけど、その時眼をつむる必要はない。
その時に起きたことを見つめながら、沈黙することも一つの立派な選択肢なのだ。
 
でも、さらに難しいことが自分の周りや自分に起きたとき、今度は自分の心をしばらく閉ざすという選択肢もあり得る。
心をひらけば自分が傷づくと分っているとき、心をしばらく閉ざすというのは立派な選択肢である。
 
人間が一つの信念をもって生きていくのは本当にたいへんなことだ。
社会的に成功することとか、お金持ちになるという単純な目的でも、そのために耐え忍ばねばならないことは沢山ある。
まして、何か一つの論争的な理念に自分の人生を賭けているような人間にとって、その理念にしたがって生きるということは、方程式を解くような単純な作業ではない。
 
児童虐待防止プログラムでも、No, Go. Tellと教える。
嫌なことのはノーと言う権利がある。
それでもダメなときは逃げても良い。
そして、結果的に自分に何か理不尽なことが降りかかったときには、それを誰か自分の信用できる人に話しても良いのだということなのだけど、これって今のイジメ問題にかかわらず、ひとの人生そのものに応用できる原則だと思う。
 
これからの自分の人生にとって、とっても大切なことを学んだ二日間だった。
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