ビン・ラディンの挑戦!

『人権をひらく―チャールズ・テイラーとの対話』(藤原書店、2005年)のあとがきにも書いたのだけど、わたしは2001年、松岡正剛さんが主宰する編集学校に学んだ。
わたしが所属していたクラスの名前は「月夜見按配教室」。
 
昨晩は、この教室の同級生たちと忘年会。
もんじゃ焼きを食べながら、ワイルドに盛り上がった(^-^)。
 
この編集学校で物語編集術の稽古として書いたのが『ビン・ラディンの挑戦』。
その主人公である鈴木太郎氏は、月島で長屋暮らしをしているという想定だった。
もんじゃを食べているうちに、そんなことを思い出した。
 
ちなみに、ビン・ラディンが世界に投げかけた二番目の問いはこんな感じ。
今の自分なら、この問いに答えることが出来るかな・・・。

「現在、私を裁こうとする国際人道法廷は、西欧国際法に基づくものである。しかし、西欧国際法は、神の存在を認めない、誤った人権思想に基づく誤った法理論である。すなわち、西欧キリスト教社会は宗教改革により政治を宗教から切り離し、国家主権を神の手から奪い去り、個人の尊厳に基づく基本的人権の理念を、その社会体制の基礎としたのだ。そして、個人の尊厳の絶対性を基礎とする基本的人権・国民主権の思想に基づいた国家主権を根幹とする国際法秩序を作り上げた。しかも、西欧国際法以外の国際法体系を認めず、自らの法体系を非西欧社会に押し付けるために、非西欧社会の西欧社会への同化政策を植民地獲得を通じて推し進めたのである。一方、イスラムは、西暦八世紀には既にイスラム法に基づく独自の国際法を体系化している。イスラム法では、国家主権は神に委任されたものであり、神はその主権をムスリム個人に委任し、それらムスリムによって選ばれた者が具体的に神の主権を具体化するのである。しかも、イスラム国際法では、当初より『イスラム世界』、『非イスラム世界』およびイスラム世界と非イスラム世界が平和的関係を維持する『共存の世界』を想定している。イスラム国際法は、西欧国際法の独善性と排他性に比べて、はるかに普遍的・国際的なものなのである。

私は、ここで、私を裁こうとしている西欧国際法の基礎である『基本的人権』の理念の正統性の根拠は何であるのか?と問いたい。敬虔なイスラムである私にとって、神を前提としない『個人の尊厳』の絶対性などというものが何らかの道徳的、法的基盤になるとは到底信じられないことであり、そのような誤った法に基づいて個人を裁くなどということがどうして可能なのか?全く理解できないことである」

 

 
 
 
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