想像力とヒューマンライツ

 友だちから、こんなメールが届いた。
 「ちょっと前の自分には想像力があんまりないように思っていました。」
 「若い頃の自分はどんな感動的な映画などを観ても涙することはほとんどありませんでした。子育てで苦労するようになってきたからか、ちょっと感動的な話を聞いただけで、涙がとまらなくなるようになってきました。自分ではどこがどう変わったのかわからないのですが、きっと少しずつ変わってきているんだろうと思っています。」
 「ずっと『差別』について理解できずに苦しんでいました。私に想像力が乏しかったから理解できないでいたのかもしれないと思いました。でも、もしかしたら、差別の実態を想像したくない自分が私の中にいたのかもしれません。」
 
 わたしも、若い頃はひとが何を考えているのか、想像できなかった。
 でも、考えてみると、ひとのことなんかいちいち考えていたら、この競争社会で落伍する、みたいな恐怖感があって、共感力に対して自分で蓋をしていたのかも知れないと、いま振り返ると思ったりもする。
 
 いまだって、相手の立場にいちいち立っていたら、決断したり行動したり出来なくなりそうなことはたくさんある。
 でも、今は自分の意志で意識的に心を閉ざしたり、開いたりできるわけで、もし、そもそも自分の中にそういう想像力や感覚があることに気が付いていなかったら、一生、ひとの気持ちは分らないままなんだろうなぁ、とも思った。
 
 そして、自分にも想像力があるということに気が付くには、自分の意見や表現が聴かれる(受け入れられる)という体験が必要なんだと思う。
 ひとの言いなりになっていたり、他人が決めた目標に無批判に従うような生き方を小さい頃から強制されていたら、想像力なんて育たないよね。
 考えてみると、自分が少しだけひとの気持ちを想像できるようになったのは、自分のことを常に受け入れてくれる友だちが見つかってからだ。
 
 わたしが勉強しているチャールズ・テイラーは、こんな風に書いている。
 「その人の尊厳を尊重することは、その人が自分の意見を持ち、その意見を発表する表現の自由を尊重することを含むのだ」
 
 尊厳というのは硬い言葉だけど、要するに「ひとはそのままで大事にされる価値がある」ということ。
 そして、ひとは誰でも同じように大切される価値があるのだというのが、人権の思想である。
 北九州のワークショックでも話したのだけど、他人からの評価、社会からの評価だけで自分の価値を決めようとしたら、ひとはいつも不安だけど、「今のままの自分に価値がある」という考え方は、そういう不安を克服する力を与えてくれる。
 
 だからといって、何も努力しないで良いというわけではないのです(^^;)。
 
 わたしも頑張って勉強しようと思います。(^-^)/
  
 
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