『ハイデガーと和辻哲郎』

この本は、関西学院大学社会学部のハンス・ペーター・リーダッハ先生の博士論文の邦訳である。
 
東西対話というのは本当に言い古された言葉で、実際に様々な対話が行なわれているけれど、当然のことながら、実のある対話というのは限られている。
 
この本は、その中で出色の作品であると思う。
 
日本以外の思想(主に西欧思想)に対する姿勢というのは、一般的に相手の枠組を普遍的なものとして、その枠内で議論を精緻化しようとするものと、西欧思想に対する日本思想の独自性を強調するものと二通りがあるように思うのだけど、リーダッハ先生の立場は、日本が近代化の過程で如何に西欧思想を受容したかというプロセスから日本独自の特質を抽出するという、とっても斬新な、そして意味のある視点である。
 
以前、松岡正剛校長先生が、日本では古代から近世にいたるまでさまざまな知を演じてきたけれど、西欧のような知の体系を作らなかったという意味のことを書いておられた。正剛校長先生は、その上で日本では「方法こそ思想なのだ」という洞察に至られたように私は思える。
 
リーダッハ先生が松岡正剛というひとを知っているかどうかは分らないけど、日本思想は翻訳された異他文化であり、その特徴は外から流入する異他的なものをどのように修正して受け入れるかという修正パターンにある、つまり日本精神史の特徴はその内容ではなく、方法論的な連続性にあるというリーダッハ先生の洞察はまさに正剛校長先生の見方と重なる。
 
わたし自身の問題意識は、西欧で誕生した人権という考え方を日本社会を含む非西欧社会に定着させるには、何が必要かということなのだけど、リーダッハ先生の提示した方法論を応用して、近現代日本が人権という思想を如何に受容してきたかを、その受容のパターンから明らかにするということは可能かも知れないと思った。
 
もっとも、これは言うのは簡単だけど、実際にやるとなったら大作業である。
 
何はともあれ、とっても刺激的な一冊でした。(^-^)/
 
 
 
 
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