青少年バッシングのほんものの犯人は?

 NPOこーらるたいとう季刊誌『ピアでいこう』第2号に寄稿させていただいた私の小文「戦後日本の忘れ物―当事者の思想としての自由民主主義」の後半です。 

2.青少年に対するネガティブキャンペーンの背後にあるもの

ここ数年、「パラサイト」「ひきこもり」「キレる若者」「ニート」と、最近は子どもや若者に対するネガティヴな表現が全国的に氾濫しています。

実際に1997年の神戸少年連続殺傷(酒鬼薔薇聖斗)事件、1998年の黒磯市女子教員刺殺事件、1999年の西尾市ストーカー殺人事件、2000年の西鉄バス・ジャック人質殺傷事件と豊川市主婦殺害事件、2004年の佐世保市小六女児による同級生殺害事件と、子どもを加害者ないし被害者とする犯罪は近年急速に増加しているように思われます。

例えば平成17年度犯罪白書は少年非行を特集していますが、少年犯罪が近年増加傾向にあり、戦後の少年非行のピークであった昭和50年代後半頃に続く高水準にあると述べています。また、内閣府大臣官房が平成171月に実施した世論調査でも、少年非行は増えていると回答をした者は全体の93.1%を占めています。

このような事態を背景に、ここ数年、日本では国を挙げて青少年の健全育成を進めようとする流れが高まっています。平成15320日付の中央教育審議会答申「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本法の在り方について」は、現在の日本の青少年が夢や目標を持ちにくい現状の下で規範意識や道徳心,自律心を低下させており、その結果、いじめ,不登校,中途退学,学級崩壊などの深刻な問題が生じ、青少年による凶悪犯罪の増加も懸念されているという現状認識を示し、その原因を「家庭や地域社会において心身の健全な成長を促す教育力が十分に発揮されず,人との交流や様々な活動,経験を通じて,敬愛や感謝の念,家族や友人への愛情などをはぐくみ,豊かな人間関係を築くことが難しくなっている」と分析しています。さらに、同答申は「学ぶ意欲の低下が,初等中等教育段階から高等教育段階にまで及んでいる」として、「初等中等教育において,基礎的・基本的な知識・技能,学ぶ意欲,思考力,判断力,表現力などの『確かな学力』をしっかりと育成することが一層重要になっている」と指摘しています。

 しかし、このような青少年のイメージは本当に彼らの実像を反映しているのでしょうか。わたしが教員として一年間勤めた長崎ウエスレヤン大学(長崎県諫早市)での限られた経験からしても、最近の若者が凶悪化したり、道徳心や規範意識を低下させているとはとても考えられません。逆におとなしい、優しい思いやりを持った若者が近年は増加しているというのが私の印象です。児童虐待を描いた絵本『ぼく、あいにきたよ』(明川哲也・児嶋サコ、文藝春秋社)を授業で二人の男子学生に音読させたところ、彼らは児童虐待で殺される子どもの物語を読み進みながら涙を流していました。わたしが人身売買根絶を目指して一緒に活動している学生NGO「てのひらの会」のメンバーも、子どもの商業的性的搾取を描いた絵本『こどもの権利を買わないで―プンとミーチャの物語』(大久保真紀、自由国民社)の読み聞かせをしながら自分たちが涙をこぼしているような心優しい若者が大半です。

 また、前述の内閣府大臣官房による世論調査でも、自分が実際に見聞した少年非行は特にないという回答している者が全体の34.9%を占めており、実際に見聞した少年非行も喫煙や飲酒,深夜はいかいなどの不良行為21.9%、バイクや自転車などの乗り物盗20.5%、万引きが18.8%、バイクや自転車などを利用したひったくりが16.9%、いじめが16.8%,不登校が16.7%と大半が軽微な非行であり、刃物などを使った殺傷事件は3.8%に過ぎません。青少年犯罪が凶悪化しているとは思われません。ちなみに、刃物などを使った殺傷事件を見聞した者は前回調査(平成1311月)では5%でした。要するに深刻な犯罪は近年減少していようにも見えるのです。

 法社会学者の河合幹雄さんは『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、2004年)において戦後の犯罪統計を分析し、凶悪犯罪は長期的に低下してきていることを明らかにしました。例えば強盗犯罪により検挙された少年(刑事責任年齢である14歳以上、18歳未満の者)は終戦直後(1946年)の2903名より1976年に618名に至るまで継続的に減少し、以降1990年の594名まで横ばいで推移していますが、1991年に微増に転じ、19961082名に対して1997年には突然1701名に急増します。しかし、河合さんは、この増加はこれまで窃盗に分類されていた「ひったくりに毛が生えた」ような事件まで強盗事件に分類されるようになったためであるとする見方を展開しています。河合さんは、この背景として同年の神戸少年連続殺傷事件によって少年犯罪に対する警察を含む世間の眼が厳しくなったことを挙げています。また、進化生物学、行動形態学を専門とする長谷川眞理子さんは『リスク社会を生きる』(岩波書店、2004年)の中で戦後日本における人口100万人当たりの殺人率は終戦直後の40名前後より趨勢的に減少し、1990年代には10名前後にまで低下している事実を取り上げ、これが10代後半から20代前半の男性による殺人が減少したためであることを実証しました。

 さらに教育社会学を専門とする本田由紀さんは『「ニート」って言うな!』(光文社新書、2006年)の中で「ニート」=「ひきこもり」というネガティブイメージを貼られている若年層の多くが実は求職活動中の失業者か定職に就きたくても就けないフリーターであることを実証的に明らかにしました。そして、この若者の就職難は脱工業化、サービス経済化という世界的な潮流によって引き起こされている現象で日本だけに限ったものではありません。フランスにおいて若者によるデモが頻発している背景にはサービス経済化が〈セルフサービス化〉という形で進められた結果、サービス部門での雇用機会が拡大されず大量失業が発生したという構造的背景があります(下平好博「〈サービス化〉〈グローバル化〉はリスク構造をどのように変えたか」第2章『リスク社会を生きる』)。

 要するに、現在日本社会に広まっている青少年のネガティブイメージの大半は根拠のないものなのです。

 わたしは、現代日本の問題は青少年の側にあるというよりは、自らの不安・問題を子どもないし若者という集団の問題にすり替えて、自らの問題には直面しようとしない大人の側にあるのではないかと考えています(内藤朝雄「『構造』―社会の憎悪のシステム」第二部『「ニート」って言うな!』)。現代日本における真の問題とは、脱工業化とグローバル化によって終身雇用、系列、行政指導などの言葉で表現される従来の社会慣行が維持できなくなっているにもかかわらず、旧来のシステム、価値観を固守しようとする多くの日本人の姿勢にあるとわたしは考えています。

 「子どもは社会の鏡」と言われますが、勇気をもって新しい世界を切り拓いていこうとしない大人たちを毎日見ている子どもたちにとって、「自立しろ」とか「しっかりしろ」という大人たちの要求は、およそ手前勝手で聞く価値のないものと感じ取られるのではないでしょうか。

 今、私たちは、どんな日本、世界を子ども達に残すのか、という歴史的な問いに直面しています。この課題に立ち向かわない大人には子どもに対して何かを要求する資格はないと私は考えています。

 

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