自分はどこに立っているんだろう?

最近、NGOの活動家たちが自分たちの活動を振り返り、自分の立ち位置を明らかにするために発言している。
 
<私たちは何年経っても、紛争を未然に防ぐことはできず、結果的に起きてしまった紛争、戦争にリアクティブに反応するという作業を続けている。そして、その作業は、いつの間にか「国際貢献」という美名の中に埋もれ、戦争をけしかけた当事者(国)と並んで、水を運び、建物を直し、怪我人の手当てをしているのである。こうして、「いったい、誰がこんなふうにしたんだ?」という問いは国際社会の中からも消え去っていく。>
<経済のグローバリゼーションが進んだことで、経済的な利権争いが紛争直後の「国際貢献」とオーバーラップし始めた。・・・NGOまでもが政府資金と一体となって、いち早く難民キャンプに旗を立てることに取り込まれる感がある。>
(『NGOの選択』はじめに)
 
来年、日本でG8サミットが開催される。
このG8に向けて日本の市民社会としても発言をしていこうと、70団体のNGOから成るG8NGOフォーラムが発足した。
10日には、その発足記念のシンポジウムが開催された。
 
私も参加してみた。
環境、開発、そして平和・人権という3つのグループに分かれて意見表明が行なわれた。
それぞれに学ぶものがあったのだけど、この3つのテーマは別々のものなのだろうか、という素朴な疑問を感じた。
2月17日に横浜開港記念館で行なわれる「子どもの未来を買わないで―ティムからのメッセージ」では、環境破壊によって生活の基盤を失った子どもたちが出稼ぎを強いられ、人身売買に遭って、売春宿に売られ、エイズに感染して命を落とすという、現在、アジアで進行中の子どもたちの現状を伝える。
環境破壊、開発、そして人権というのは一体のものとして伝える必要があるのではないか。
 
グローバル化が進む中で、NGOの立ち位置、そして個人の立ち位置を決めるのはなかなか難しい作業になってきている。
 
そんなとき、高橋一生先生の「地球市民社会の形成と二つの市民社会論」(『国際NGOが世界を変える』)は、日本における市民社会のあり方を考える上でとっても参考になった。
市民社会にも公私と営利・非営利という2つの基準に基づくアングロサクソン型と政府、企業、そしてNGOも市民社会のアクターとして横並びに見ていこうというヨーロッパ型があるという話は、目から鱗という感じだった。
 
日本には米国のように政府と市民社会を峻別するようなシステムは導入できないだろうし、一方、なし崩し的に政府、企業、地方自治体が横並びになっていくという構図も考え難い。
小泉改革への国民の支持を考えると、たぶん、トップダウン型で地方分権、市民社会(NGO)の基盤強化・拡大を進めるような方向で、半分米国型、半分ヨーロッパ型の市民社会が発展するというのが現実的な選択肢ではないか、という気がする。
 
自分はその中でどんなことをやってみたいのだろう?
 
「自分はどんな人間として記憶されたいのか?」というのは、何かのワークショップで出た質問だけど、今の日本で、誰もが考えていることかも知れない。
 
日本国際ボランティアセンター(JVC)『NGOの選択』(めこん、2005年11月)
功刀達朗・毛利勝彦編著『国際NGOが世界を変える』(東信堂、2006年7月)
 
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