じぶんを表現するということ

昨日から最後の書き直しに取り組んでいる『表現アートセラピーを応用したリサーチ手法の可能性』。
 
このレポートのお題の「表現アートセラピー(Expressive arts-therapy)」という言葉では、実は表現的(Expressive)というのがミソ。
 
Expressivismというのは、19世紀後半のフランスで始まった芸術運動である。印象主義や自然主義の反動として起こったと一般に言われており、絵画とは単に眼に見える世界をそのまま再現するのではなく、眼に見えない世界、内面の世界、魂の領域にまで探求の眼を向けるところに、その本質的な役割があるという考え方に基づく芸術思潮である。
 
要するに、Expressivismというのは、自分の内面を表現することに特別な価値を認める考え方なのだ。
 
チャールズ・テイラーは、近代人の特徴を自己規定性にあるとする。
近代以前の社会では、個人の社会的身分とか地位は固定されており、ある個人のアイデンティティはその社会的立場によって生まれながらに決まっていた。
しかし、近代社会では、人は自分はどんな人間でありたいのか?を自分で決め、自分で実現する自由と責任を持つようになったというのが、テイラーの洞察なのである。
 
しかし、このアイデンティティというものは、予め確定したものとして存在しているわけではない。
自由な個人は、自らのアイデンティティを他者との関わりの中で試行錯誤を通じて確立していく。
しかし、当然のことながら、この過程は永久に完成することのない一つのプロセスであり、定められたゴールのないプロジェクトなのである。
 
そもそも、自由な個人は自分のアイデンティティを定めるための枠組(背景)すら、自ら創り上げていかなければならない。
物事には正解は一つしかなくて、その正解は教師、学習指導要領、そして国が決めるという不思議な教育が一般的な日本では、このことはあまり自覚的に意識されていないけど、実社会に出たら、組織人になるのか、自営業で行くのか、もし組織人になるのであれば、どの組織ではどんな風に生きたいのか、といったことは実は自分で全て決めていかなければいけない。
 
そして、そういう行為をまとめて「自己実現」というわけだけど、この「自己実現」と言う行為をテイラーは「表現」という言葉で表したのだ。
だから、テイラーの言う「表現」とは、自分って何?という問いに対して答えるための枠組を作ることであると同時に、その枠組の中で自分というものを確定していくことでもある。
だから、枠組自体が変わることもあるし、それに伴って「あの人はこういう人」とか「自分はこういう人間」というイメージも変わることがあり得る。
 
ただ、自分って何?という問い自体は、この「表現」という行為を通じて答える以外にないのだ。
 
ということで、現代の人身売買は「表現の自由」の侵害であるという、私のテーゼに辿り着くわけです。
 
この辺を今回の報告書では書いてみる予定。(^-^)/
 
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