自分が考えたこととしての「思想」

連休は、これまで読めなかった本を読んでいる。
最初に読み終えたのが鹿野政直先生の『近代思想案内』(岩波文庫別冊14)。
鹿野先生は早稲田大学文学部卒業で永く早稲田大学教授を務められた日本近代史、思想史の専門家。
 
鹿野先生の見方、書き方は、それぞれの思想家に対して、たいへん温かい。
フェミニストとして日本女性史の世界を切り拓いた高群逸枝さんが、日本古代史への賛美を通じて次第に当時の軍国主義を支持する方向へ傾斜していった様子も、例えば小熊英二『単一民族神話の起源』(新曜社)の冷静な記述に比べると、さらっと書いてある。
 
鹿野先生は「自己を秩序に埋没させきらず、そこに芽ばえる秩序への違和感、自己への懐疑として発言する意識こそが、思想形成への契機をなします」「多くの場合その意識は、体系化されることなく、断片として消え去ったり、心の中で凍結されたままになりますが、思想をそのような発現の場から切りはなし、自己完結性をもって認識することは、摘みとられた花をめでるにひとしいとさえ思われます」と書いている。
 
鹿野先生の「思想」に対する見方は、十分な体系化への努力を欠いた論考を「思想」として強弁するような知的怠慢を許容する危険性を有する一方で、現実との接点を書いた机上の空論から「思想する」という行為を救い出す枠組を提供する。
まぁ、こういう見方こそ思想史というのかも知れない。
社会思想史というものを、私は、思想というものをその当時の社会との関係の中で歴史的に位置づける(解釈する)営みで、昔はマルクス的な決定論的見方が主流だったのだけど、今では社会的意識と制度はそれぞれの補完的であるという穏当な見方に収まっているものと理解している。
 
個人的には、思想について、その論理の整合性をメインに問う学問よりも、その思想が社会とか歴史のコンテクストの中でどのような役割を担ったのか、のほうが自分には関心がある。
 
そういう意味では、鹿野先生の仕事は自分の感性に合うような気がした。
 
 
 
 
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