思想と信念と感情

最近、いろいろな人の考え方にふれる機会がある。
同じ出来事に対する解釈でも、人によってまったく異なっている。
そして、その解釈の背景にある考え方はどんな人の場合でも、一定の整合性がある。
でも、面白いのはこの点ではない。
そのような考え方の背景にある暗黙の信念である。
この信念は、必ずしも本人にもはっきりと分かっているわけではないのだけど、ひとは、この信念に反することは、本能的に批判し、承認しようとしない。
でも、面白いのは、この点ではない。
その信念には感情が含まれているということである。
信念と感情の関係はあまりはっきりしないけど、少なくても別物ではない。
自分の観察では、自分にとって快い感情と自分が信じる信念は一体のものである。
そういう意味では、感情、少なくともある種の感情は倫理観と結びついている。
 
北海道大学の橋本先生が昔、人には理論化されていない何か混沌とした考えや感情の源泉があり、思想や論理というものは、それを正当化したり明晰化するために出てくるものだというようなことを話されていたことがある。
もちろん、理論化することによって、自分の内面の矛盾に気が付いて、自己変革の契機となる場合もある。
これが、テイラーが繰り返し主張するarticulationの意義である。
ちなみに、articulationという言葉。
日本では、明晰化、分節化と訳されるが、実際には結節化という面もある。
これまで、無関係だったと思っていた要素が実はずっと深いところで繋がっていることは発見するのも、articulationと言えると自分は考えている。
松岡正剛先生は、よく「どんな分野の間にも対角線を引くことができる」と言われるのだけど、それはかなり当っている。
 
テイラーはよく自分の学問を哲学的人間学と言うことがあるけど、具体的な人間観察に基づいた人間学というのは、確かにたいへん興味深い学問だと思う。
 
 
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