日本の外国嫌いシンドローム(?)

わたしは、長いこと、子どもの権利とか人身売買という人権に関わる仕事をしてきたので、日本人が心の底では「人権」という言葉に違和感を覚えているということは何度も経験してきた。
政治家、教師、学者、ビジネスマン・・・。
タテマエとしての人権尊重の一方で、人権という言葉に対するホンネでの違和感、距離感、あるいは嫌悪感というものは、さまざまな場面で感じてきた。
もちろん、人権という規範がなければ、セクハラ、パワハラ、職場での男女差別、理不尽な労働強化に対して自分の生命と尊厳を守ることができないことは誰もが認識している。
しかし、一方で、この人権という理念が自分のプライベートな生き方にまで干渉してくることには多くの人たちは警戒的である。
 
わたしは、この現象はずっと、人権についてのみ起きていることだと思っていた。
ところが、最近、職場で工学系の先生とお話しをしていて、日本人の中には自然科学に対する違和感、反感が根強くあるという話を聞いて、もしかすると、この人権への反感って、もっと広い日本社会の外国人嫌いに起因しているのではないかと、ふと思った。
 
要するに、日本社会と異質な他者(技術、文化、あるいは個人や集団)が日本社会に入り込んできたとき、その異質な他者が自分よりはるかに強大なときは、黙って服従し、自分が相手を飲み込んだ(吸収した)と思った途端に、態度を豹変させる。
あるいは、心の底では絶対に受け入れずに面従腹背の姿勢を続け、最後の、最後まで我慢して、耐え切れなくなったときに爆発する。
いずれも、日本社会では日常的に起きている出来事ではないか。
 
日本社会の基本的考え方の傾向を垂直性(人間関係を平等なものとしてではなく、上下関係としてとらえる)にあると指摘したのは、国際政治学者のガルトゥング先生だけど、これは結構当っているのかも知れない。
 
最近の自主憲法とか、人権に対するバックラッシュって、広い意味での反「西欧」感情から発していることは間違いない。
そして、この感情は実は自然科学をも対象としていたといのは、驚きである。
 
日本の「近代化」路線って、どこか間違っていたんだろうか?
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