学問というもの

最近、ずっとチャールズ・テイラーの"Modern Social Imaginaries"(Duke University Press, 2004)を読んでいる。
2004年夏に読んだときは、ざ~っと読み飛ばしてしまったところや、本当にはよく理解できていなかったところが、今回は少し分かるようになってきた。
 
昨年11月の日本法哲学全国学術大会で、わたしが疲労とストレスで真っ白なアタマで、かつ準備不十分な発表をして、もちろん結果もダメだったとき、司会を務めてくださった東大の井上達夫先生が、「テイラーをしっかり読みなさい」とご指導くださった。
そのアドバイスにしたがって、今年はまず、テイラーの主著である"Sources of the Self: Making of Modern Identity"を読み直した。
そして、今は、"Modern Social Imaginaries(近代社会像)"を読んでいる。
 
時間が足りないと言い訳をして流し読みをしたり、適当に読んで理解できたふりをしても、思想系の研究はすぐにばれる。
じっくり読んで、自分なりに理解し、それを言葉に起こしてみることは、こういうタイプの学問をやる上では必須の基礎作業である。
しかも、継続的に、繰り返しやることが必要である。
そういう作業を進めると、テイラーという人がどれほど深く学問を修めた人か、よく分かる。
もちろん、学問というのは定説への挑戦、常識への挑戦だから、特定の個人や思想化を神格化したり絶対化することは、間違いである。
どんな偉大な学者にも限界があり、後進の義務は、その限界を超えて、人間の認識の限界を少しでも広く深く拡大することである。
そのためにも、常に原典にあたることが基本。
とご指導下さったのは、もちろん、早稲田大学の古賀勝次郎先生。
まぁ、わたしのような凡庸な者は、優れた先達のご指導にしたがって、こつこつ勉強する以外にはないとことですね。(^-^)/
 
 
 
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