自分が見ることのない未来のために

昨晩は、来年のG8サミットに向けて結成されたNGOフォーラムの環境ユニット主催の勉強会に出席した。
その中で出てきたのが、「2050年までに、炭素排出量を現在の50%に削減する」という話。
 
この話を聞きながら、わたしが思ったのが、2050年には自分はもう生きていないだろうな、ということ。
多くの人々にとって自分が見ることもない未来のために、これまで続けてきた生き方を大きく変えようという運動が世界規模で始まろうとしている。
 
人身売買の問題に取り組んでいると、自分たちが今手にしている富、幸せを手放してまで、貧しい人々を支援することが実際には如何に困難なことか、いつも痛感する。
総論では、世界における経済格差の拡大を何とかしなければいけないという主張に賛成する人たちも、実際に貧しい国から人々が高い収入を求めて自分の国にやってこようとしたときには、俄然、態度を豹変させる。
 
そういう、一面とっても自己中心的にできている人間が、これまでの生き方を改めようという話を真剣に始めているというのは、何かとっても感動的だった。
 
もちろん、人間にとって個の保存と種の保存は生物としての本能なわけだから、種としての人類の生存が危機にさらされつつある現在、人類が団結するというのは、マクロ的には分からないではない。
でも、それが、個人レベルの行動にまで反映してくるというのは、人類史上初めての出来事かも知れない。
 
自分は興味深い時代に生れたよかったな、と、これは超ミクロ的感想でした。(^-^)
 
 
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