Virtual War

今、イグナティエフの"Virtual War"をさらっと読んでみた。
 
彼の基本的認識は、人権の最終的な擁護者は国家であり、国家が保有する武力なのだということである。
 
そして科学技術の発展によって、先進国の人々にとってはあたかもコンピューターゲームのように見える戦争(コソボ戦争や湾岸戦争、イラク戦争における空爆)の背景には、実は深刻な人的被害があるにもかかわらず、この事実に対する理解が失われることによって、今後、先進国はより容易に軍事行動に向うようになるのではないか、というのが、イグナティエフの懸念なのである。
 
この本が出版されがのが1999年のことだから、その後、世界で起きたことを振り返ると、イグナティエフの慧眼には本当に驚かされる。
 
イラク戦争がこれほどの被害を米国にもたらすことが当時、認識されていれば、2003年に米国はもっと別の選択を行なっていたかもしれない。
空軍力を配置した上で、フセイン政権に対する革命を煽動することも、米国や西欧の同盟諸国のインテリジェンスの力をもってすれば可能であったかも知れない。
そうすれば、イラクの独裁政権をイラクの人々が倒すことを支援するという形で、イラクの民主化に貢献するという選択肢も、もしかすると可能だったのかも知れない。
その場合も、血は流れたかもしれないが、人々の自発的意志がより生きた政治的路線に進むことが可能だったかも知れない。
あるいは、どちらにしても、フセインという権力者を失ったイラクは混迷の淵に沈み、結局、米国をはじめとする先進国は介入を余儀なくされたのだろうか。
しかし、その場合には、イラク戦争の際のような国際世論の分裂は回避できたのかも知れない。
 
もちろん、歴史にIFはないというのが、歴史を学ぶ者の基本である。
 
現代史に取り組む者にとって、物事が何時から歴史になるのか?という問いはたいへん重要である。
当事者であった人々がこの世を去り、当時の興奮が冷め、その出来事を冷静な眼で振り返る距離が出来たときが、その歴史を書く時なのだ、と有名な政治史家が書いていたように記憶している。
 
イラク戦争が現代史の一こまとなる時。
2030年頃だろうか?
研究者としての自分にとっては最後の仕事になるかもしれない。
 
今の自分の力ではとても取り組むことは出来ない巨大なテーマだけど、いつか書いてみたい気がした。
米国軍のイラク派遣はどのような結果を世界史にもたらしたのか?
イラクへの自衛隊派遣は、日本に何をもたらしたのか?
 
歴史の審判は、やがて、それぞれの出来事に対して下される。
 
その時、自分も何か書いてみたいと思った。
 
 
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