伊藤真『憲法の力』集英社新書

今月29日~30日に行われる第4回子ども国会で、「どうする?これからの日本(憲法9条改正)」分科会に参加するために、久しぶりに憲法の勉強を再開したのだけど、昨年の第3回子ども国会に参加した体験から、参加する子ども達の憲法に関する知識にはかなりばらつきがあるということが分かったので、今年は分かり易く、現在議論となっている憲法改正を巡る議論を説明できるようになっておきたいと思っていたところで、目にとまったのがこの本。
 
伊藤さんは有名な司法試験のための私塾経営者。
「市民のための働く法律家」養成を目指すと同時に、今進行中の憲法改正の動きに危機感を持って、憲法問題の啓蒙活動にも積極的に取り組んでいる。
 
この本に書いてあることは、とっても分かり易く、また常識に適っている。
 
何よりも、<「今、この場でどういう意見を述べることが、正解なのだろうか」ということを気にするあまり、自分の意見が自由にいえなくなっている、自分の意見を持てなくなっているように思えます。結果、何も考えずにすませてしまうのです。>という文章には、本当に頷けるものがある。
<まわりを気にするあまり、異なった意見が述べられない>という観察も、今の日本の社会の実態を実に的確に捉えていると思う。
 
数日前に書いたことだけど、退出の自由がないのはどこの国でも同じである。
英語圏に生れたか、何らかの理由で英語のネイティブスピーカーに育たない限り、普通の人間は自分が生れた国を永久に離れて生きていくことができない。
退出の自由の無い国に民主主義が成立するには、多数者の暴力に対して少数者の権利が保障される必要がある。
これを立憲主義というのである。
 
そして、立憲主義というものは一つの文化であって、何もせずに黙っていて成熟、確立するものではない。
 
自分の考えでは、自由民主主義というものは一つの文化であって、まったく没価値的なものではない。
チャールズ・テイラーが繰り返し主張するように、多数者に対する少数者の権利を守るという意思自体が、その社会の共通の価値観の表明であって、そのような社会に対する愛情は、少数者である自らの価値が尊重されることによって芽ばえるのだというテイラーの非手続き主義的自由主義の議論は、現代日本の改憲論議と重ね合わせると、実によく理解できる。
もちろん、カナダにおける少数者とはフランス語を話す人々のことであるのに対して、日本では漠然とした多数者から排除されている様々な異質な人々のことを指しているわけである。
 
でも、多数派に同調することで安心感を得ようとする少数者が多くなった社会で、異質なまま存在し続ける自由はどうしたら保障されるのだろうか?
 
この辺りは、興味の尽きないテーマではある。
 
 
 
 
 
 
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