まわりの眼が・・・

昨日、職場から帰宅する際の電車の中で、樋口陽一『比較のなかの日本国憲法』(岩波新書、1979年)を読んでいた。
子ども国会に向けた準備のためなのだけど、30年近く前に書かれたこの本。
「議会制民主主義のルールは、立場があべこべになる可能性のない与野党の間では、うまく機能するはずがない」(88頁)という指摘は今の日本にも引き続き当てはまる。
この新書は、フランスにおいて1978年3月総選挙で当時野党だった左派連合が政権を取る寸前まで行ったという事態を背景に書かれたもので、樋口先生は冷静に議論を進めているけれども、行間からは日本にも同じような政権交代を実現して議会制民主主義の成熟をもたらしたいという思いが溢れていて、リベラル派の愛国心とはこういうものなのだなぁ、と思った。
 
面白かったのは、乗り換え駅に着いて新書から眼を離して周囲を見たら、中年のビジネスマン、向かいの若い女性が興味深そうに私の手元の新書を見つめていたこと。
これまで、憲法とか政治の本というのは、何となく遠い世界の話ということで敬遠されていたような気がするのだけど、最近亡くなった小田実さんが生前言っていたように、「市民というものは、本当に必要なときは立ち上がるものだ」というのは本当かも知れないと思った。
 
今日は終戦記念日である。
昨晩は、吉永小百合さん主演の「ああ、ひめゆりの塔」を観た。
昭和20年の3月までは平穏で幸せな女学校生活を送っていた人たちがわずか2~3カ月で友達の死と毎日のように直面し、全てを失っていく様子は、本当に痛ましい。
暴力というのは、日常生活というものを一瞬のうちになぎ倒していく、おそるべき現象なのだと思った。
 
チャールズ・テイラーは、よく近代社会の倫理として「日常生活の肯定」ということを持ち出す。
戦士の倫理と対比して、毎日の仕事、家庭生活の中で自分を生かすことに価値を見出すのが近代社会の倫理観なのだというテイラーの議論は日本の戦争体験を振り返ると、実によく分かる。
 
自分が大切にしているもの。
それを奪われない権利こそ人権である。
 
 
 
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