中曽根康弘・宮澤喜一『改憲vs護憲』

 この本は、2000年に朝日文庫として朝日新聞社から出版された。
 
もちろん、改憲派中曽根vs護憲派宮澤という立場からの論戦を期待して作られた本。
しかし、実際にこの二人の議論を読んでいると、実は政権を担ってきた人間はそんな単純な判断基準では分類できなものだということがよく分かる。
 
宮澤さんの次の意見はたいへん印象的。
「私自身は決して革新政党に与するものではありません。そしてその私が多くの点で意見を同じくする保守党の人たちと(護憲か改憲かというただ一点で)袂を分かつような立場に立たされるということは、私としては同意しがたいわけです。」
「保守党を分断するテコに憲法の問題が使われてはならないと思いますね。」(173―174頁)
 
冷戦時代には、自民と社会党の対立という構図があって、自民=保守、社会党=革新政党というイメージが流布していた。
でも、結局、両者は日米安保を利用して経済成長に専念するという当時の日本の政策をそれぞれの立場で擁護してきたのだということは、今は周知の事実。
米国が自主防衛努力を日本に強く促せば、日本国内の社会主義勢力に勢力伸張の口実を与えるという理由から、米国は90年代初頭まで日本に強く「応分の負担」を要求してこなかった。
社会党も、経済成長の中で弱者救済という役割を果たしていた。
しかし、非武装中立という社会党の政策が米国の圧力かわしのために一定の役割を果たしていた冷戦時代が終わるにつれて、この政策は意義を失い、結局、国防という分野で現実的かつアピールのある独自の政策を打ち出せなかったことが社会党を含む革新政党に対する国民離れを加速して、その結果、弱者救済という社会民主主義の理念を現実化する対抗軸が失われた結果、日本は格差社会にころがり落ち始めたわけである。
そういう意味では、憲法改正は実は今の日本社会にとって重要な課題ではない。
大切なことは、現実的な自由主義政党と社会民主主義政党による二大政党制が確立することである。
 
それと、もう一つ印象的なのが、やはり宮澤さんの次の言葉。
(電車の中で、女学生が何かされても周りの人は声も出せないような、ヤワな国になったのは現行憲法にも責任があるという意見に対して)
「それは結局、自由とか人間の尊厳というものを一人一人の個人が大切にして、そのために戦わなければならないことを、国民がどのように自分の信念としていくかということです。それを国で言えば、自衛のためには血を流さなければならないということに尽きるので、それでよろしいんじゃないですか。『自衛のため』と称してよその国に出ていくこととは、いまのヤナな精神ということとはまったく関係ないことです。」(141頁)
 
国を守るために血を流す用意をするということと、「自衛のため」と称してよその国に出ていくことは、やはりまったく別のことではないかと自分も思う。
そして、自衛のために血を流す用意があるということが、戦力保持を容認するという事でもないことも明らか。
自国の防衛は、軍事力だけで出来るものではない。
 
まぁ、これからの日本をどうしたいのか? 考える上ではオススメの本の一つである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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