矢野暢『国際化の意味―いま「国家」を超えて』

矢野暢先生は東南アジア学の泰斗である。
その矢野先生が1986年に出版されのがこの本。

1986年というと、有名なプラザ合意(1985年9月22日)の1年後、日本の円が1ドル235円から一挙に120円台になった経済的には激動の時期である。
80年代は日本の対米黒字が拡大し、その反面として米国の貿易赤字と財政赤字、いわゆる双子の赤字が急速に深刻化していた。
この貿易不均衡の改善を目指して行われたのが円・ドルレートの修正。
今にして思えば、国際的な秩序維持には殆ど貢献しないで、その利益だけを貪っている日本に対して業を煮やした米国がフェアな競争条件を無理やり日本に呑ませたと言えなくもない、この「プラザ合意」。
日米構造協議によって、保護貿易的な制度、慣行が次々と改廃されていった時期でもある。

この急速な円高による不況を緩和するために取られた低金利政策がバブル経済を生み出し、それが90年代の「15年不況」につながった。
この時代を振り返って、90年代の日本の不況は米国の陰謀とまで批判する人もいる。

しかし、今にして振り返ると、戦後の経済成長によって経済的にも政治的にも大きな存在となった日本が、「応分の負担」(国内市場を開放して、外国製品を受け入れることと国際的な平和秩序の維持に必要な貢献をすること)を引き受けることを先延ばしにし、また適当な構造改革(輸出依存から内需主導型の経済)を怠った結果、しっぺ返しを食ったというのが、まぁ、自然な見方だろうと思う。

その後、日本は長い不況の下で厳しい構造改革に少しずつ取り組み始めた。
その結果、日本経済は再び復調の兆しが見えるところまで回復したのである。

それはともなく、そういう歴史的転換点に書かれた矢野先生の『国際化の意味』。
いろいろな意味で、当時の日本の世界認識、自己認識を反映していて興味は尽きない。


日本は大国として国際社会に与える自らの影響により自覚的でなければならないという基本的な主張は、バブル崩壊後の痛みを知らない「ジャパン アズ ナンバーワン」時代の反映のように今の自分には見える。
国際化を論じる際に「国家」を抜きに議論することは空虚であるという主張は、日本の論壇におけるその後のナショナリズムの台頭を踏まえると、たいへん印象的である。

自分にとって特に興味深かったのは、当時の日本を「劇場国家」「軸性国家」と定義している点。
「劇場国家」というのは、海外の特定の文化を模倣して、それを同じような政治的制度、慣行を演じて見せるだけで、実体は何も変わらないという(当時の)日本の状況を指す言葉。
「軸性国家」の「軸」とは、「極」に対する言葉である。
「極」が、当時の米国やソ連のように意識的な戦略を持ち、世界秩序の要となっているような国を指すのに対して、「軸性国家」は自国の利益だけを考えて、自国の国際的影響を考えない国を指す用語として矢野先生は使用している。もちろん、想定しているのは「日本」である。

「劇場国家」も「軸性国家」も、今となってみれば、米国の庇護の下で思考停止に陥っていた当時の日本社会を的確に表現していたわけだけど、その後の日本社会の変化を考えると、かくべつ普遍的な日本社会の特性ではなかったのだ。

今、日本はある意味で戦後はじめて、一人で自立して、考え、行動する国家になろうとしているのかも知れない。

そのとき、一番重要なことは、一人ひとりが人間の命や自由の大切さを自覚して、それらを守ることは自分たち一人ひとりの責任であるという意識を持つことだろうな。

これを人権感覚と呼ぶか、人間の尊厳・生命の尊重と言うかは大した問題ではない。
要するに、人間はみな違っているけれでも、等しく尊いという感覚が根付けば良いのだと自分は考えるようになった。

日本もいよいよ正念場ですね。
面白い時代に生き合わせたものです。

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