小路田泰直『国家の語り方―歴史学からの憲法解釈』

「日本国憲法の成立を論じるとき、アメリカ占領軍の圧倒的な存在感に目を奪われて、多くの人が忘れているのは、日本国憲法は「八月革命」の所産でもなければ何でもない。大日本帝国憲法(第七三条)を経て制定された、れっきとした大日本帝国憲法の後継法だということである。」

小路田先生は、この歴史認識に基づいて、日本国憲法の成立に働いたと思われる日本社会の内在的な要因を明らかにしようと試みる。

小路田先生は、近代日本において大日本帝国憲法が、現(明治)天皇の制定法である前に、「皇祖皇宗の遺訓」として認識されたのは何故かという問いから出発する。
小路田先生は、この背景に人間の不完全性と平等性の認識という近代社会の観念の成立を見る。
人間は全て不完全な存在であり、しかも一人ひとりが平等な存在として私利私欲に基づいて行動するとしたら、社会全体の秩序はどのように保たれるのか?
人間はすべて不完全な存在である以上、特定の個人による統治を全面的に信じることはできない。
結局、何らかの形で世論に基づく代表を選び、かつ、その代表が特定の私心に基づく行動をとることを制限する規範を設ける以外にはなかった。
しかも、すべての人間は不完全という想定からすると、この規範の正当性を特定個人に求めることはできないので、その結果、日本では「皇祖皇宗の遺訓」として大日本帝国憲法が発布されたというのが、小路田先生の主張である。

しかし、この議論には整合性がないように思われる。
一般に近代社会は、社会契約説によってその成り立ちが説明される。
中世の身分制社会から解放された個人が、主権者としての自らの意思によって相互に契約を結び、主権の一部を国家に委譲した結果、生まれたのが近代国家であるというのが、一般的な社会契約説のあらましである。
したがって、主権者は国民であるということになる。
それが、明治初期の日本において国民主権という制度を導入することが出来なかったのは、やはり、当時の日本には、「私利私欲」にもとづいて行動する私人はいても、主権者としての意識を持つ国民は存在しないという社会認識があったせいだろうと思う。
そのために、近代的国民を生み出すための精神的シンボルとしての天皇が登場したわけだけど、明治政府の過ちは、本来、精神的なレベルでの象徴であるべき天皇に統治権の総覧者となることを求めた結果、実際に統治権を行使する者と憲法上の統治権の主体の間に乖離が生じ、その結果、誰が最終的に統治者を抑制するのか、という課題に対する回答が曖昧なままとなったことであると自分には思える。
この制度設計の過ちが、その後の日本の命運を分けたのだという気が自分にはする。

しかし、大日本帝国憲法を、現(明治)天皇が制定したものではなく、全ての国民の祖先たる古の人々の「皇祖皇宗の遺訓」を成文化したものとして発布することで国民意識の醸成が可能になったという面はあったように思われる。

また、大日本帝国憲法下でも、主権は天皇にも国民にもなく、国家にあるという美濃部達吉の憲法学説が生まれたように、国民主権への路は少しずつ前進していたことも事実のように思われる。

その意味で、大日本帝国憲法と日本国憲法の間に継続性を見ようとする小路田先生の議論の方向性は正しいと思う。

小路田先生は、あとがきの中で、(日本の)戦後民主主義は国民に国家のオーナーになることを要求しない民主主義であり、国家のオーナーはどこまでもアメリカと官僚であったと書いている。

国民が国家のオーナーとなる覚悟と準備がない社会に、ほんものの自由民主主義が確立することはないというのが、小路田先生の理解なのだろうと思う。

そして、今、日本の政治は国民に、これからの「国のかたち」について決断を迫るところまで成熟してきた。

面白い時代に生き合わせたのものである。

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