ワクワクすること

昨日の国連大学大学院共同講座。
初日は参加者の自己紹介とこの講座全体の責任者である高橋一生先生の国際機構論の講義が行なわれた。
 
エジプト、ハンガリー、スリランカ、ルーマニア、インドネシア、マレーシア、米国、そして米国育ちの日本人など、多様なバックグラウンドを持った学生達が18人集まると、そこは正にユース国連。
 
そして、高橋先生の国際機構論の講義も、わずか50分で300年以上の歴史のある国際機構の成り立ちをバランス良く、分かり易く説明される神業のような内容で、わたしにとってもたいへん良い勉強になった。
 
そして、自分の学問のあり方についても反省する良い機会になった。
わたしは、社会人を長くやってから大学院に戻ったので、とても実務的な内容から自分の研究をスタートさせたのだけど、段々と自分の勉強が進んでくると、結局は歴史学にとっても近い方法論を自分がとっていることに気が付いた。
まぁ、あの、本当に勉強しなかった大学時代の影響が今まで残っているとは信じがたいものがあるのだけど(笑)、あるいは自分の思考方法というか傾向が歴史的だったのかも知れない。
 
ただ、修士課程の時代に近代イギリスの都市史の研究をされている先生の講義を取ったとき、その先生が「歴史家というのは、経済学者のような一般化、理論化には慎重です」ということをよく話されていたことがあった。
 
わたしは、普通の歴史研究者よりは理論化、一般化に熱心なタイプなのだけど、一方で現実から懸け離れた論理の整合性のための議論というものにも興味は持てないところがある。
だから、歴史社会学とか理論社会学という風に分類される領域が自分の住処なのかも知れない。
もっとも、大学時代に中世史の先生が講義してくれたマックス・ウェーバーにはあまり興味が持てなかった記憶があり、一方、当時名古屋大学で教鞭ととられていた水田洋先生の本は熱心に読んだ記憶があるから、社会思想史というのが正しいのかも知れない。
そうして考えると、大学卒業後十数年を経て、早大大学院で社会思想を講じられている古賀先生の下で勉強することになったのも、何か自分の心の深いところになる、一種の志向性が導いたもののようにも思われ、人間のアイデンティティのあり方というものを考えさせられるね。
人間っていうものは、面白いものですね。
 
 
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