論理とは資料から滲み出すもの

まぁ、これが歴史学とか社会学、思想を学ぶ際のもっとも基本的な姿勢だと思う。
 
自分のアタマで勝手に作ったモデルとか理論で現実を割り切ろうとするのではなくて、目の前にある資料を丁寧に読み込む中で自ずと一つの論理が浮き上がっているというのが学問の王道だろうと思う。
もちろん、昔と違って資料といっても、書き物だけではなく、映像もあれば写真もあり、絵画もある。
そして、目の前を浮遊しているデータをかき集めただけでは論文は出来上がらない。
 
一方で古典にじっくりと取り組むことが大量かつ多様な資料を選別する目を養うのだと思う。
もちろん、書斎に座り込んでいるだけでも必要な情報は得られない。
行動は常に大切である。
そうして得られた多様な資料と古典読解から、その思想、時代に内在すると思われる論理を汲み取ることが社会科学の基本的な方法論だと思うな。
 
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