米本昌平『地球環境問題とは何か』

1994年4月に岩波新書として出版されたこの本。
わたしが買ったのは、2006年12月の第20刷。
 
今年になってG8 NGOフォーラムの環境ユニットに参加したお陰で、環境問題について関心を持つようになり、少しずついろいろな本を読むようになった。
自分のメインの専門は思想研究なので、やはり環境分野でもそういう人の作品に興味を惹かれる。
 
米本先生は京都大学理学部を卒業した後、証券会社で働きながら科学史を学ばれたというユニークな経歴の持ち主。
その後、三菱化成生命科学研究所に入所、社会生命科学室長を経て、現在は東京工業大学と東京大学の特任教授を兼任されている。
 
この本の中で印象的なのは以下の文章。
「歴史のうねりは、その時代その時代の多くの人々が確信し共有する価値や世界観によって作り出されてゆく。そして長い時間をおいてみれば、どのような価値観や世界観が選びとられるかについても根拠は、あいまいである場合が多い。」
 
私たちは、西欧社会を何か整然とした理念が継続的に発展してきた社会であり、逆に日本という社会は根本的な理念・哲学のない社会とみなす習慣が身に付いている。
そもそも、西欧社会という言葉で何を示しているのかすら曖昧なのに、この「系統的思想史・伝統を持つ社会」としての「西欧」という幻想は日本社会には染み渡っている。
しかし、実際に西洋史の専門家が「10世紀から13世紀にかけて、ヨーロッパ社会は大きく拡大の方向へと向かった」「やがて時代が進むにつれてヨーロッパの人びとは、人間性のなかに尊厳を見つけ、神性のなかに人間的なものを見いだしていくのである」「こうした世界観の変化がどうして起こったのかを説明するのは容易ではない」と書いているように、西欧の歴史を一つの系統だった主体的発展を遂げたものとして記述するというあり方自体が、実は特殊西欧的であり、そういう歴史記述の方法以外にもっと別の歴史記述の方法もあるのではないかという気がする。
このあたりは、チャールズ・テイラーの問題意識と重なっていて、というより、テイラーの問題意識に触発されて、自分もそんな風に考えるようになったというのが実は正確である。
 
それはともかく、米本昌平先生。
この本の中で、「地球環境問題とは、マルクス主義に代わる新しいイデオロギーである」と明言。
その上で、将来においてこのイデオロギーが誤っていることが分かった場合、つまり、地球温暖化の予測が誤っていることが明らかになったとしても、それまでに蓄積した省エネルギーや公害防止のノウハウ、技術、装置は、後世にとって大きな正の遺産となるのだという立場から、地球環境問題への積極的な取り組みを勧めている。
 
個人的に、自分はこういう見方とか考え方に共感をおぼえる。
自分の主張、見方に凝り固まった自称正義漢に会うと、もう少し肩の力を抜いて行こうよ、っていう気にいつもなる。
同様に、自分の学説に固執する学者も苦手である。
だいたい、科学というものは仮説の塊である。
永遠の真理とか普遍的な発見なんていうものは、数学や形式論理学の世界ならともかく、社会科学の世界では先ず考えることは出来ない。
肩の力を抜いて、楽しく勉強していこう、というのが自分には一番合っているな。(^-^)
 
 
 
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