論理の文脈依存性ということ

最近、いろんな文章を書いたり、直したりする機会があるのだけど、そこで感じているのが標題の「論理の文脈依存性」。
日常言語というものは英語であれ、日本語であれ、話されているコンテキストに大きく依存している。
あらゆる個別的な事例を超越した普遍的な理念とか論理は仮にあったとしても、あまりに一般的で日常生活には役に立たないものである。
では、論理は不要かというと、そんなことはもちろんない。
チャールズ・テイラーがよく言うように「明晰化、文節化」によって、私たちは物事に関してより良い理解に達することが出来ることは間違いがない。
ただ、そのためには文脈を理解する力と自分がその論理で成し遂げようとする目標への見通しを持っていなければならない。
そして、その見通しを与えるものが経験と知識に基づく直感なのだと思う。
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