安倍彰「R・ローティ「人権論」の精査」

立命館大学大学院に在学中の安倍彰さんがリチャード・ローティの「人権論」を取り上げた論文を書いている。
 
その中に、私の『人権をひらく―チャールズ・テイラーとの対話』(藤原書店、2005年)が引用されている。スマイル
私の本は、知識社会学からの人権批判と位置づけられている。
まぁ、そうなのかも知れない。
amazonでも、この本は政治・社会>社会学>人権問題というカテゴリーに入っている。
 
『人権をひらく』を出版してから、私の学問も少し進歩して、今の時点では、人権というのは(1)基層哲学としての人権、(2)社会規範としての人権、(3)実定法としての人権に分けることができると考えている。
この考え方は、チャールズ・テイラーの"Conditions of an Unforced Consensus on Human Rights"in J.R.Bauer & Daniel A. Bell eds.., The East Asian Challenge for Human Rights, Cambridge University Press, 1999から援用したもので、社会規範としての人権は普遍的であるけれども、実定法そして基層文化としての人権は多様であり得るという考え方である。
要するに、「人を殺すなかれ」というのは正当防衛とか他に手段がない緊急事態において誰かを助けるためといった場合以外はだいたいどこでも従わなければならない普遍的な「社会規範」なのだけど、この背景に「人間は神に似せて作られた貴重な存在」という人間観があっても、「草木国土悉皆成仏」という見方があっても、格別良いと思うのだ。
そして、各国の憲法や刑法で、この社会規範をどのような法言語に翻訳するかは、それぞれの文化、国に任せられている。
この考え方に立った場合、次の課題は、基層文化としての人権が日本と一般に「西欧」と呼ばれる文化圏でどのように違うのだろうか、という問いである。
 
もちろん、これだけグローバル化が進んだ昨今、昔のように「日本」と「西欧」なんて二分法自体が有効なのかどうか自体、きちんとした学問的検証が必要だけど、とりあえず、「人権」という理念がローマ・カソリックという文明圏の伝統をベースに誕生したことは間違いない。
その意味では、「人権」という理念自体、今後、かなりの変容を強いられるものなのかも知れない。
 
そうなると、西欧的偏向を取り去った人権理念とはどんなものであり得るのか、という哲学的な疑問が出てくる。
これは、なかなか難問で、私もまだ回答はない。
一橋大学の内藤淳さんが書いた『自然主義の人権論』(勁草書房、2007年)は、そういう方向での一つの成果である。
 
私も遅れを取らないように勉強しなければいけませんね。
 
まぁ、このあたりは興味の尽きない現代社会学的テーマなんだろうと思う。
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