闇の子供たち

昨日は、予定していた作業が思ったより早く終わったので、かねてより観に行こうと思っていた子どもの人身売買を取り上げた映画「闇の子供たち」を観に行った。
原作のほうは昔、読んだことがあったのだけど、映像はやはりインパクトがあった。
しかも、3連休の最終日の午後だというのに、映画館は満席に近かった。
観客も若いカップルから、高齢者まで幅広く、中には小学生と思われる子ども連れの家族もいて、日本社会もずいぶんと変わったものだと思った。
 
日本で心臓手術を必要としている8歳の子どもがいる。
日本では15歳未満の者からの臓器提供は認められていないので、日本在住の子どもから臓器を提供してもらうわけにはいかない。
そこで、両親は海外での臓器移植手術を考える。
我が子を助けようと必死な両親に、タイでは子どもの臓器提供者がいるという話が舞い込む。
しかし、この背景には、人身売買の犠牲者となった子どもを生きたまま臓器提供者として売り飛ばす犯罪組織があった。
この犯罪の取材を始めた日本の駐在員も、実は、かつてタイの男の子を買った経験を持ち、その過去に苦しめられている男性だった。
日本人の駐在記者は、タイの子どもを救うために自分の人生を賭けるNGOの日本人女性スタッフを見て、自分の過去を思い出し、自ら命を絶つのだ。
 
子どもの人身売買、性的搾取の暗闇を臆することなく明らかにした良心的作品だと思った。
宮崎あおいが演じるNGOスタッフについては、日本のNGO関係者からステレオタイプ的という批判も聞いたのだけど、私の印象では、自分に対して誠実に生きようと模索するNGOスタッフと比較して、日本の大新聞社の中の記者というロール(役割)にはまり込んで、<ほんもの>の自分と向き合おうとはしない、日本の大人たちとのコントラストがはっきり出ていて、この配役自体が、現在の日本社会の矛盾を明らかにしていると思った。
そして、この映画は、明らかに、<ほんもの>の自分を追求することがより価値のある生き方であるというメッセージを持っている。
 
チャールズ・テイラーは、人間のアイデンティティが社会的身分や位置によって決定的に規定されていた前近代社会に対して、近代の特色は自分の内心の声にしたがって、自分らしいアイデンティティを作り出す責任と自由が個人に与えられたことであると書いている。
日本も、遅ればせながら、「近代社会」として成熟しつつあるだなぁ、と思った。
 
 
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