マイケル・イグナティエフの「人権論的転回」?

 

第33回日本カナダ学会での発表原稿です。スマイル

 

前ハーバード大学教授・同カー人権政策研究所長で現カナダ自由党副党首のマイケル・イグナティエフは、日本では1984年の作品である『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』[]の時期までは人権に対する懐疑論者であったが、その後、人権の擁護者へ転身したという理解が一般的なようである。

例えば、添谷育志は『人権の政治学』邦訳あとがきにおいて、イグナティエフの『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』には「人権規範に対する懐疑は各所に散見される」と指摘した上で、「かつて「露骨に懐疑的な態度」をとっていた人権規範に対して積極的にコミットするようになったのはなぜか」という問いを提起している[]

また、濱真一郎は『バーリンの自由論』において、「彼は、1980年代前半には、権利ないし人権では捉えられないニーズが存在すると指摘し、権利ないし人権に懐疑的であるかのような議論を行ってきた。しかし、1990年代後半の「日本語序文」では、権利ないし人権の役割を再評価し、さらに後の著作では、見知らぬ他者たちに配慮できる人権論の構築に向かうのである」と述べている[]

しかし、このイグナティエフ観では、2003年のイラク戦争の際に、イグナティエフが米国の軍事行動を支持した理由を説明できないように思われる。

イグナティエフ自身が提示している国際人権の原則によれば、制裁から直接的な軍事力行使を含む「国境を超えた直接介入」の目的は対象国の主権を廃止することなしに危険にさらされている人々に保護を与えることであり、直接的な介入に踏み切る際には以下の3つの条件が満たされる必要がある(HR:40HR邦訳:8384頁)。

人権侵害が甚だしく、組織的かつ全面的であること。

近隣地域における平和と安全に対する脅威となっていること。

軍事介入が人権侵害を阻止する可能性が本当にあること。

イラクへの武力行使が、これらの国際人権法上の要件を満たしていなかったことについては、例えば国際人権NGOであるHuman Rights Watchが既に明らかにしている[]。また、イグナティエフ自身、イラクへの軍事力行使の合法性については絶対的な確信を持っていなかったことも事実である[]。そして、20078月には公式にイラク戦争を支持した自分の判断は間違っていたことを認めている[]

イグナティエフは、また、1999年のコソボ戦争についても、「コソボ作戦は国際法のもとでは厳密にいえば違法であったが、道徳的観点からは正当であり必要でさえあった」と結論づけている(VW邦訳:v頁)[]

つまり、コソボおよびイラク戦争に対するイグナティエフの態度から判断すると、イグナティエフを、国際人権法を尊重する人権擁護派と単純に考えることは出来ないということである。

これまで、イグナティエフの「人権論的転回」の根拠として『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』邦訳に対する日本語序文における、「(同書では)普遍的人権という規範の有用性に、さらには適用可能性にさえ露骨に懐疑的な態度をとっている」以下のイグナティエフの言明が引用されることが多かった。つまり、この言明は、1984年当時、人権に対して懐疑的な態度をとっていたイグナティエフが1999年の時点で、その姿勢を振り返って、その後人権を擁護するに至った経緯を述べたものと解釈されてきたのである。

しかし、この箇所で、イグナティエフが述べているのは「人権を保障するのは存続可能な民族国家(nation state)であるが、そのような民族国家を持たない人々には国連、NGO、その他の国際的人道機関を通じた普遍的権利の保護が必要であり、そのような普遍的権利の要求に正当性を与えるのは、普遍的承認を得る性格を持つニーズである」ということである。そして、前段の「人権の最終的な保証者は国家である」という認識はすでに『正しい刑罰の方法』において萌芽的に示されており[]、『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』においても、イグナティエフは、ニーズの言語体系ないし権利の言語体系による要求は、「存続可能な国民国家によって強力に主張されたり、あるいはそれらの国家によってなされる訴えでないかぎり、たいして意味のあるものではない」と述べて、ニーズないし権利の充足には「存続可能な自分たちの民族国家」が必要であると明確に主張している(NS邦訳:78頁)。この主張は、『ヴァーチャル・ウォー』(2000年)(VW:176VW邦訳:209頁)、『人権の政治学』(2001年)(HR:35HR邦訳:77)でも繰り返されている。

また、後段の「普遍的権利の要求に正当性を与えるのは、普遍的承認を得る性格を持つニーズである」という言明は、『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』において繰り返されているものである。

すなわち、イグナティエフは、同書において、英国のような高度福祉社会における福祉業務の分業に関連して「わたしたちが一つの道徳共同体に生きていると言えるための根拠は、それが如何に脆弱なものであろうと、見知らぬ他人たちの間の連帯であり、分業を通じてニーズを権利に、さらに権利をケア(配慮)へと変えるこの転換作用」であると述べ、ニーズは権利の根拠であると明らかにしている(NS10)。さらに、イグナティエフは、貧しい高齢者に年金を給付し医療介護を提供することは多くの福祉国家では依然贈与とみなされており、福祉を受けていることは不面目なことだと思われていることを指摘し、貧しい高齢者たちの人間として尊重されたいという個人的ニーズは、実質的に権利として保障されなければならないと主張している(NS:16NS:25頁)。

しかし、同時にイグナティエフは、権利という言語は個人が集団に向かって、あるいは集団に抗して掲げる要求を言い表したり、国家権力に対して厳しい制限を課す理念としては有効であるが、同時に「個人が個人として必要としているものを完全に数え上げる」ことは出来ないという権利言語の限界も指摘し(NS邦訳:56頁)、多くの社会が権利として承認する普遍的・基礎的ニーズが存在する一方で、人間は生きるためにこれらの普遍的ニーズ以上の個人的ニーズを充足させる必要があり、それらのニーズの充足は権利として要求するには馴染まないものが多いことも指摘している。

さらに、イグナティエフは「公衆に開かれた言語体系がなければ、わたしたちのニーズは沈黙のなかで干上がってしまうであろう」(NS:142NS邦訳:197頁)と述べて、個人的、非普遍的ニーズを表現するにも公的な言語体系が必要であることを認めつつ、ニードの言語は多様であって、単一の意味内容のニードという言葉で歴史を描くことは出来ないことを認めている(NS:19-20NS邦訳:30-31頁)。

つまり、イグナティエフは権利ないしニーズという言語の多様性とその限界を十分に認識した上で、それぞれの言語がどのような局面で有効か、を冷静に観察し検討しているだけであり、この姿勢は『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』以降も変わっていない。

例えば、『ヴァーチャル・ウォー』において、イグナティエフは精密誘導装置、監視衛星やスパイ飛行機などによって圧倒的な空軍力を確立した米国を中心とする西欧諸国は、空からのピンポイント爆撃によって自らの戦争被害を極小化することに成功し、その結果、先進国の非戦闘員である一般市民にとってコソボ戦争は、いわば不可視化され、その結果、先進国の一般市民はマスコミなどを通じて流される情報にますます左右されるようになり、それらの国の指導者達は軍事行動に対する一般国民に対する同意を得るために巧みなレトリックを用いるようになり、その中で「人権という大義が、自分たちが擁護していると考える人権自体の濫用に終わる戦争へ市民を引きずり込む」(VW:6VW:7頁)危険性があると警告を発している。

それでは、コソボやイラク戦争に対するイグナティエフの明確な態度表明の背景には、どのような思想・信条があると考えるべきなのだろうか。

ここで注目すべき点は、コソボ戦争に対する「道徳的観点から正当である」というイグナティエフの言明である。イグナティエフは、研究者としては英国における近代刑務所成立史研究(『正しい刑罰の方法』)からスコットランド啓蒙思想の研究へと進み、『富と徳』[]においてスミスの経済思想がシヴィック・ヒューマニズムよりも大陸自然法の影響によることを論証するという成果を挙げた。しかし、イグナティエフは同時に、同書において、スミスにおいて瞬間的に達成された経済的領域、法的領域、道徳的領域における総合は実際には自己分解する運命であったという解釈を明らかにしている。

さらに、イグナティエフは、『富と徳』「ジョン・ミラーと個人主義」において、ミラーを「財産の受動的な享受よりも市民的参加を高く評価」し、「正規の政府」と法の支配とが進歩にとって決定的であることを承認する一方で、「正義のみを、また、正規の政府によって与えられた安全のみを評価する社会は、裕福にはなれたかもしれない」が、その社会は、自由と徳とを評価する社会ほど自分を誇りに思う理由をもたなかった」と批判した思想家として捉えている(W&V:331W&V邦訳:553頁)。しかし、イグナティエフは、ミラーがスミスやヒュームと同様に、商業社会が「経済的領域」での生活様式を文明化したことを承認し、自由市場が正義の諸関係を促進し、「政治的領域」では、「警察」と官僚制の逓増増殖に対抗するために勃興しつつある諸階級の独立性を信頼する一方で、「人間生活の私的で親密な関係」では「商業的精神」が破壊的影響力を行使していると述べることで、公的領域と私的領域を分離した結果、「ふるいシヴィック・ヒューマニズム的言語を無害な道徳主義に帰着させ」たと、その限界を明確に指摘している(W&V:342WV邦訳:569頁)。

イグナティエフは明らかに経済組織や公共の自由が「商業的精神」によって破壊される危険性と、公共領域におけるシヴィック・ヒューマニズムの精神の必要性を認識している。

つまり、イグナティエフは、大陸自然法とシヴィック・ヒューマニズムという社会的な信念体系は相互に両立不可能であるにもかかわらず、近代社会では両者が必要とされると考えているのである。

イグナティエフが、コソボとイラク戦争に対する自らの評価を公に明らかにした理由は、公共領域におけるシヴィック・ヒューマニズムの尊重、すなわち公的な出来事に対して自らの立場を明らかにすること(政治参加)に価値を置くイグナティエフの信条にあると考えることができる。

それでは、イグナティエフはどのような根拠に基づいて、イラク戦争を道徳的には正当なものと判断したのであろうか。

200785日付の記事において、イグナティエフはイラクに対する米国の軍事行動を支持した理由は、亡命イラク人の友人が述べたように、この戦争がイラクの人々が自らの国で自由に生きることができるようになる唯一の機会となると信じたためであると述べている。そして、カナダでの政治家としての経験が、現実に願望を持ち込まないことを教えてくれたと自らの過ちを率直に告白している[10]

米国の対イラク軍事行動を支持し、重装備自衛隊の派遣を決断した日本にとって、イグナティエフの思索と行動から学ぶべきことは少なくないと思われる。


[] M.Ignatieff, The Needs of Strangers: An Essay on the Philosophy of Human Needs  ,Viking, 1985(以下NS).(添谷育志・金田耕二訳『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』、1999年)(以下NS邦訳)。。

[]M.Ignatieff, Human Rights as Politics and Idolatry ,Princeton University Press, 2001(以下HR).(添谷育志・金田耕一訳『人権の政治学』風行社、2006年)(以下HR邦訳)

[] 濱真一郎『バーリンの自由論』(勁草書房、2008)。

[] Human Rights Watch, World Report 2004, 2003, pp.13-35.

[] イグナティエフは、「イラク戦争については、封じ込め(containment)が無効であったのかどうか明らかではない」「これは本当に難しい問題だ」と告白している。George Packer,Dec., 8,2002,”The Liberal Quandary Over Iraq”, the New York Times Magazine.

[] M.Ignatieff, Getting Iraq Wrong, The New York Times, Aug.5 2007.

http://www.nytimes.com/2007/08/05/magazine/05iraq-t.html>。

[] M.Ignatieff, Virtual War: Kosovo and Beyond ,Metropolitan, 2000(以下VW).(添谷育志・高橋和・中山俊宏訳『ヴァーチャル・ウォー』(風行社、2003年)(以下、VW邦訳)

[] The extension of rights within civil society had to be compensated for by the abolition of the tacit liberties enjoyed by prisoners and criminals under the ancient regime. In an unequal and increasingly divided society, this was the only way to extend liberty and fortify consent without compromising security. Michael Ignatieff, A Just Measure of Pain, Penguin Book, 1978, p.212.

[] M.Ignatieff and Istvan Hont eds., Wealth and Virtue: The Shaping of Political Economy in the Scottish Enlightenment, coeditor, Cambridge University Press, 1983(以下W&V.(水田洋監訳・杉山忠平訳『富と徳』、未来社、1990年)(以下W&V邦訳)

[10] M.Ignatieff, Getting Iraq Wrong, The New York Times, Aug.5 2007.

http://www.nytimes.com/2007/08/05/magazine/05iraq-t.html>。

 
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