ブラジル会議を振り返って

11月25日より28日までブラジルのリオで開催された第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する世界会議。
振り返ると、もっとも印象的な基調報告は、ECPAT国際議長のアミハン・アブエバさんと、UNICEFイノセンティ研究所長のマルタ・サントス・パイスさんによるものだった。
そこで取り上げられたのは、新しい情報通信技術および(加害者となり得る)旅行者の増加をもたらした人の移動のよって深刻化している子どもポルノと子どもの人身売買だった。
その意味では、今回のブラジル会議の主要なテーマは、横浜会議の延長線上にあったということができる。
一方、たいへん興味深い点は、2002年に開催された国連子ども特別総会で採択された最終文書『子どもにふさわしい世界』に対する言及はほとんど無かったことである。
さすがに、マルタ・サントス・パイスさんは、ミレニアム開発目標と並べて、『子どもにふさわしい世界』にきちんと言及していたけど、会議最終日に公開されたブラジル宣言文(案)の中には、『子どもにふさわしい世界』への言及はなかった。
 
90年代なかばから子どもの権利の世界で生きてきた私にとって、これはたいへん興味深い現象に思えた。
29日の午後に少しこのことを考えてみた。
 
2001年は、もちろん9月11日に米国同時多発テロが起きて、9月に予定されていた国連子ども特別総会が延期された年である。
そのあと、12月に横浜会議が開かれ、翌2002年5月にやっと国連子ども特別総会が開催された。
しかし、その頃にはすでにイラク戦争の準備が進み始めていて、子どもの人権に対する関心は大きく低下していたように思う。
また、国連と米国政府の関係が悪化し、一方で国連の中立性に対する疑念がイラクを中心とする非西欧諸国で高まっていた。
2003年8月のバクダット国連本部爆破事件は、反国連感情を示す大きな事件だった。
今から振り返ると、アフガニスタンに対する武力行使とイラク戦争の挟間で開催された国連子ども特別総会に対して、世界の関心が届かなかったのはやむを得ない事態だったのだろう。
 
しかし、その間も、世界の子どもの権利に関わる人々は『子どもへの暴力報告書』の作成に地道に取り組み、UNICEFや世界各国のNGO、専門家、子どもたちが協力して、限られた範囲ではあるけれども、これまであまり注目されたいなかった家庭内、学校内での子どもへの暴力を取り上げて、きちんとしてレポートを作成、2006年に国連総会で発表したのだ。
 
アフガニスタンへの武力行使、イラク戦争という世界的な事件の中で、『子どもへの暴力報告書』は、子どもの権利、子どもの最善の利益というものに世界の関心を惹きつけ続ける役割を果たしてきたのだと思う。
ただ、子どもへの暴力については、『子どもにふさわしい世界』の中で、(1)一般的暴力、(2)武力紛争、(3)児童労働、(4)性的搾取と人身売買という4つのカテゴリーを立てて、包括的な達成目標を定めている。
今回の世界会議に参加していた他の国のNGOの人たちと話しても、『子どもにふさわしい世界』の重要性を否定する者は誰もいなかった。
 
やはり、巨大な歴史の出来事の中でその存在が埋もれてしまったというのが正しい見方なのだろうと思った。
 
ということで、自分なりのブラジル会議総括は、子どもの性的搾取・人身売買問題は、『子どもにふさわしい世界』『子どもへの暴力報告書』、そしてミレニアム開発目標などのより大きな枠組の中にきちんと位置付けた上で、その解決に取り組まなければならないというところに落ち着いた。
 
12月13日には東工大での国際人権論の講義が始まるのだけど、やっと子どもの権利の現代史を自分なりの見方で説明できる気がしてきた。
 
世間はもはや師走なのだけど、自分にとっては何かが始まるという感じがする2008年年末となった。
  
「子どもにふさわしい世界」の復活。
 
前進の時です。
 
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