今日はCSECフォーラムin横浜

 
子どもの性的搾取や人身売買問題に取り組んできた若者たちが企画したこのイベント。
私も、第2部シンポジウムのコーディネーターとして協力することになっている。
 
それで、今朝、子どもの(商業的)性的搾取問題について振り返ってみた。
1996年のストックホルム会議、2001年の横浜会議、そして今年のリオ会議。
 
特に横浜会議は自分が事務局として関わったこともあって、特に思い出深いものがあるのだけど、2008年12月7日という時点から振り返ると、色々なことが見えてくる気がした。
 
昨日、子安宣邦さんの『「近代の超克」とは何か」』(青土社)を読んだせいもあるのだけど、21世紀に入ってからの10年、あるいは90年代以降の20年というのは日本にとっては大きな試練の時期だったという思いがどうしても強くする。
 
2001年はもちろん、米国同時多発テロがあった年である。
私個人に関して言えば、翌週に予定されていた国連子ども特別総会への出張が延期となり、その代わりにアフガニスタンへの緊急支援キャンペーンに忙殺されるようになり、その中で横浜会議の準備を進めた思い出の年である。
そして、2003年にはイラク戦争が始まった。
日本の自衛隊も、2004年には現地に派遣された。
イラク戦争で(湾岸戦争と比較して)自衛隊派遣を実現できたことは外交上の選択肢が拡大したという意味でたいへんな進歩だという外務省の元同僚の評価を聞いて、ナルホド、こういう見方をする人もいるのかと思った記憶がある。
 
そういう世界的な流れの中で忘れ去られてしまった2002年5月の国連子ども特別総会。
1990年にニューヨークで開催された世界子どもサミットには日本の海部首相が参加したのに、2002年の国連子ども特別総会には、もちろん小泉総理が参加することは出来なかった。
当時、日本が置かれていた情況を考えれば、当然とは言えば当然。
何しろ、2002年には1月21日&22日にアフガニスタン復興会議が東京で開催され、その際のトラブルで政局は小泉政権成立以来最大の危機を迎えていた。
 
しかし、そういう中でも、子どもの権利の普及に携わる人々は希望を捨てることなく、自分に出来ることをこつこつと積み重ねていた。
そのことが確認できたことが、今回のリオ会議の最大の成果だったと私は考えている。
 
ユニセフ協会を辞めたから、いろいろなことを経験したお陰で、そしてマイケル・イグナティエフやチャールズ・テイラーの著作を読み重ねてきたお陰で、子どもの権利とか人権というものも少しだけ距離を置いて見つけることが出来るようになった。
 
広い世間から見れば、「子どもの権利」などというものは、とってもマイナーなものである。
しかし、その理念に共鳴して、自分の人生を賭けているひともいるのだから、そういう点から考えると、日本の社会もまだまだ希望を捨てたものではない。
 
今日はそんなお話が出来たらいいな、と考えています。スマイル
 
 
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