やまは筑波嶺

筑波山は三億年の歴史を持つと言われています。

木村繁『筑波山』筑波書林によると、今から三億年前、現在の筑波山のあたり一帯は海でした。

 

その海底に、大陸から流れ出た土砂が厚さ一万メートルと言われる堆積層を作り出していました。

二億四千年前、火山活動の結果、この堆積層がいまの筑波山を中心とした地域に隆起します。

この雄大な山脈が風雨に侵食されてしだいに低くなり、最初の筑波山が姿を現わしたのが今から一億九千年前。

しかし、この初代の筑波山は、海底沈下の結果、一億四千年前に姿を消します。

 

やがて、今から一億年前、再度火山活動が再発。

九千年前に、筑波山二世が姿を現わします。

その後も様々な紆余曲折を経て、今から三百万年前に、現在の筑波山の原型が出来上がります。

そして、三万五千年前。現在の富士、浅間、榛名、赤城などの火山が次々と噴火し、この火山活動は二万五千年近く続くのです。

現在の富士山は、この時に出来ます。

 

やがて、今から一万二千年前、縄文時代が始まります。

その頃、最後の氷河期が終り、地球の温暖化が進んだ結果、日本列島の自然環境も大きく変化し、人々の生活様式を変えたのです。

筑波山の周辺でも、地球温暖化に伴って海面の水位が上がり、海岸線が内陸に進行して、今から五千年くらい前には筑波山のふもとまで海岸線がやってきます。

しかし、上昇し続けた海面も、この時期から低下し始め、今から二千年ほど前になると、現在の土浦辺りまで後退します。

そして、その二百年から三百年の後、筑波山の周辺に最初の弥生人が姿を現わすのです。

 

西暦四世紀のはじめには、ヤマト朝廷軍が筑波山一帯を征服します。

白村江の戦いで朝鮮半島の百済・日本連合軍が、高句麗・新羅・唐の連合軍に敗北したのが六六三年。

その結果、日本に亡命した百済の王族は、特に関東地方の開発に活躍したと言われており、筑波山も西暦七〇〇年に常陸の国司となった百済王遠宝によって支配されるようになります。

この百済王遠宝という人。筑波山一帯に仏教を持ち込んだと言われています。

 

その後、西暦七八二年に徳一大師が筑波山に知足院中禅寺を建てました。

その後、真言宗のお寺となり、徳川時代には幕府が手厚く庇護した結果、大いに繁栄しますが、明治時代の廃仏毀釈運動により壊滅的な打撃を受けました。

 

ちなみに、この中禅寺のそばにある筑波山江戸屋は、寛永五年(一六二八)初代吉岡久左エ門が、創業した由緒正しい旅館。現代は、十代目の吉岡昭文氏が社長として経営にあたっています。

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中