幸福とは善く生きること:アリストテレス『ニコマコス倫理学』

今年になって、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』をずっと読んでいる。
 
昨年11月にテイラー博士にインタビューした時、テイラー博士が「私はアリストテレスに多くを負っています」と語っておられたことに触発されて、これまであまりきちんと勉強したことのなかったアリストテレスの哲学を勉強しようという気になったという次第。
 
そして、そういう気持ちで『二コマコス倫理学』を読み返してみると、チャールズ・テイラーという思想家がどのような形でアリストテレス哲学を自分の思想として受容していったのかがよく分かる。
また、昨年、テイラー博士が京都における高校生・大学生との対話集会の中で幸福について取り上げたのが何故かもよく分かる気がした。
 
テイラー博士は、一般に普遍的善とか、超越的な理念の存在を信じる思想家として理解されていると思うのだけど、実はリアリストなのだと思う。
よく調べたことはないけど、『自己の諸源泉』などに現れるプラトン哲学に関連する記述から推察するに、テイラー博士は、プラトンをあまり評価していないと思うのだけど、これもアリストテレス哲学を思想上のバックボーンにされているという観点からするとよく分かるような気がした。
 
この『ニコマコス倫理学』第二巻第四章の末尾に以下の言葉がある。
「かくして、ひとは正しい行為を行なうことによって正しいひととなり、節制的な行為を行なうことのよって節制的なひととなるということは妥当である。かかる行為をなさないでは、誰しも善きひとたるべきいかなく機会も持たないであろう。
しかし、実際はかかる行為をなさないで言論に逃避し、そして、自分は哲学(フィロソフェイン)しているのであり、それによってよきひととなるであろうと考えているひとびとが多いのであって、彼らのかかるやりかたは、いわば注意して医者の言葉を傾聴しながら少しもその命令を守らない病人に似ている。それゆえ、かかる仕方で手当を受けている病人が身体についてよき状態でありえないだろうと同じように、このような仕方で哲学するひとたちも、彼らの魂についてよき状態であることはできないであろう」
 
 
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