宗教と近代社会

今年9月26日・27日に開催される第45回経済社会学会のテーマは、「宗教と経済社会」。
私は、26日に「ポスト世俗化時代の宗教―日欧比較の視点から:チャールズ・テイラー『ある世俗の時代』を中心に」というお題で報告をさせていただきます。
 
昨日、私は東大駒場キャンパスで、AISECという学生組織が主催する勉強会で子どもの権利を巡る世界の動きについてお話をしたのだけど、その朝、久しぶりに速水佑次郎先生の"Development Economics"(Clarendon Press/Oxford, 1997)を読み返してみた。
その最後にこう書いてる。
…many low-income economies today will be able to achieve modern development…not along a monolithic path, but along multiple paths according to their different traditions.
 
同じことをチャールズ・テイラー博士も、書いている。

No society can develop a modern state and a market economy without some important change. And what come out depends partly on what went into the change. From this point of view, we should speak instead of “alternative modernities”, different way of living the political and economic structures that the contemporary age makes mandatory. How these are worked out in India will not be the same as in Japan, which is in turn different from the North Atlantic region- which in its turn again has much inner diversity.
(Philosophical Arguments ,Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1995,pp.xi-xii)
 
異なった「近代」社会では、宗教と呼ばれる現象も違うだろうし、それを西洋のパラダイムではなくて、それぞれの社会の実態を踏まえたモデルで記述してみて、相互比較をしてみるというのが、私の目下の関心テーマです。
大きなテーマなので、そんな簡単には結論は出ないのだけど、そもそも、学問というのは、そういうもの。
こつこつと勉強を続けたいと思います。
 

ポスト世俗化時代の宗教―日欧比較の視点から

チャールズ・テイラー『ある世俗の時代』を中心に

 

                東京工業大学

                森田明彦

 

チャールズ・テイラーは、西洋ではユダヤ教の時代から魔術としての宗教的な集合的儀式(collective rituals)に対して疑念を持っており、その結果、西洋社会における宗教改革は脱魔術化という形を取り、いわゆる集合的儀式から個人的信仰へのシフトが生じたが、集合的儀式に対するアプリオリな反感がなかった日本社会では、近代化に伴い、宗教的慣習、例えば神社への参拝などは日常生活のあり方の一つになり、その背景にある宗教的な存在論とか信仰について深く思いを巡らすことなく、また自分が何を信じているのか思い悩むことなく、そのような行為を行なうことが可能となったという洞察を提示した[]

一方、山折哲雄は、日本では1617世紀のキリスト教伝道と明治以降の近代化の影響の下で「宗教を問い信仰を問うことは、いずれかの教派や宗派に排他的に所属することの如何を問い、何よりも主体的な決断を要請するもの」と考えられるようになり、その結果、元日の初詣でやお彼岸やお盆の季節の墓詣りや葬儀という形で神社や寺院に出入りする行為は主体的行為としての「信仰」とは異なるものと言わば思い込まされ、そのような態度、心性にこそ日本社会における宗教的態度の特質があると主張することを躊躇わせる結果になったと述べている[]

 両者の見解は、宗教に関する西洋社会と日本社会の相互理解の交錯点を示すものとしてたいへん興味深いものがある[]

 戦前の超国家主義を体験し、自由民主主義社会を確立するためには政教分離が不可欠であることを学んだ日本の知識人にとって、テイラーの洞察は無批判に受け入れられるものではない。例えば、殉職隊員に対する自衛隊の合祀に関する裁判を巡る議論を振り返るだけでも、国家神道を含む宗教の公的空間への復活に対する日本の知識人の警戒心は明らかであろう[]。しかし、リベラル左派と呼ばれる知識人集団の言説が1990年代以降、日本社会において急速に影響力を失った背景として、戦後日本社会が経済成長至上主義の中で抑圧してきた実存的欲求、とりわけ、日本の人々が持つ素朴な祖先崇拝や愛国心の欲求をリベラルな知識人が前近代的なものとして正面から取り上げようとしなかった点が指摘されることが少なくないことを踏まえる[]と、テイラーの洞察は実はたいへん含蓄に富んだものであることが分かる。テイラーは、西洋社会の近代化を単一のパラダイムとみなす見方を戒め、「(西洋社会の)近代化・世俗化の過程はより乱雑な(messy)ものであり、その観点から見ると、明治維新以降に反近代的な役割を果たした宗教が別の経路を辿ることも出来たことが理解できる」と主張する[]

人間は常に自らの生きる意味を求める存在であるが、個人にとっての生きる意味とは漠然とした形であっても社会と自らの関係に対する、一つの有意味な、そしてその個人が生きる社会が承認した公的な説明、解釈に基づいている。この有意味な「承認された」信念体系が失われたとき、個人は容易に不合理な信条に惹きつけられて行く[]

戦前のファシズムの経験に対する反省から、戦後の日本は特定の信念体系を公的に承認し、国の内外に普及させようという試みに対してはきわめて抑制的、消極的である。この思想的真空状態が、戦後日本において一国平和主義と生活保守主義を国民一般の政治信条として確立、存続させる大きな要因となった。しかし、冷戦の終結により、精神的鎖国とも呼ぶべきこれらの政治信条を可能とする客観的条件は失われた。加えて、90年代以降の知識社会の到来は戦後初めて国民的規模で異なる他者と直面することを日本社会に強いるに至っている。河合隼雄は、日本の中空構造的な精神が西洋的父性の論理の侵入によって危機に晒されていると述べたが、河合の危機感は日本を取り巻く客観的状況の変化への反応と言えるであろう[]

 今日の日本社会に求められているのは、戦前の日本社会に超国家主義をもたらした言説を徹底的に批判すると同時に、リベラルな原理と共存し得るナショナルなアイデンティティを再構築することである。

 その際に取り組むべき重要な課題はポスト世俗化時代である現代における宗教の役割である。初詣の賑わいや創価学会等の新宗教の隆盛に見られるように、日本では宗教が依然大きな影響力を私的空間においても公的空間においても有している[]。しかし、山折が指摘するように、多くの日本人は西洋的な宗教観を無批判に受容してきた結果として、主体的選択の結果ではない集団的儀式は、それらが宗教的な起源を有していても、宗教的行為ではないと無意識のうちに思い込まされている。

 本稿は、主体的選択の行為のみが「信仰」であるとする宗教理解が西洋社会においても正確なものではないこと、そもそも「宗教」と呼ばれる現象はきわめて多様であることをチャールズ・テイラーの最新作『ある世俗の時代』に主に拠りつつ思想史的に明らかにし、さらに集団的習俗と内面の信仰というテイラーの二元論的宗教理解がテイラーの認識論・存在論さらに社会哲学を反映した西洋社会特有の歴史的偏向を蔵していることを明らかにする。

 

【注釈】


[]2008年度京都賞授賞式のために来日したチャールズ・テイラー博士に対する、論者によるインタビューの際の回答。チャールズ・テイラー「宗教と社会主義」、特集:「民主主義」とは何か、『環』37号(藤原書店、20095月)。

[]山折哲雄『近代日本人の宗教意識』岩波現代文庫(岩波書店、2007年)。

[] 本稿では、国民国家や冷戦体制を前提とする現代ヨーロッパの東西区分ではなく、ギリシア古典哲学、ローマ法、ローマ・カトリック教会などの「西ローマ」的伝統を共有する空間を「西洋(The West)」と定義している。したがって、北米地域のアメリカ合衆国やカナダもこの範囲に含まれると考えている。皆川卓「アリストテレスが結ぶヨーロッパ―ポリティアからレスプブリカへ」小倉欣一編『近世ヨーロッパの東と西』(山川出版、2004年)、107頁。

[] 笹川紀勝「信教の自由・政教分離の原則と自衛隊の合祀」『別冊ジュリスト』154号(有斐閣、20009月)、100101頁。

[] 永井陽之助『平和の代償』(中央公論社、1967年)、姜尚中『ナショナリズム』(岩波書店、2001年)、『論座』編集部編『リベラルからの反論』(朝日新聞社、2006年)を参照。

[] チャールズ・テイラー「宗教と社会主義」、『環』37号、150151頁。

[] P・F・ドラッカー、上田惇生訳『経済人の終わり』(ダイヤモンド社、1997年)、116131頁。

[] 河合隼雄『中空構造日本の深層』中公文庫(中央公論新社、1999年)、5277頁。

[] 200919日付警察庁発表によると、2009年正月三ガ日の初詣客の総数は統計と取り始めた1974年より過去最高の9939万人に上がっている。警察庁発表「新年の人出と年末年始の登山者に対する警察措置について」(200919日)。

http://www.npa.go.jp/safetylife/chiiki30/tiiki090109.pdf>。

 
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