児童ポルノ(15)非実在創作物としての児童ポルノ

技術屋さま、健さま、犬さま、りすさま、そしてsave childrenさま。
 
突然、北京大会の話しを持ち出して混乱をさせ、申し訳ありませんでした。
これは、私がこのプログラムを確認する際に、すぐに見れるように備忘録代わりにアップしたもので、他意はありません。
 
実は、この2~3日、長岡義春『わいせつコミッック裁判』(道出版、2004年)、紙谷雅子「ポルノグラフィーと「女子ども」の論理」渡辺武達・松井茂記『メディアの法理と社会的責任』(ミネルヴァ書房、2004年)、それから、「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会 最終取りまとめ」を読んでおりました。
特に、『わいせつコミック裁判』の中の、奥平康弘先生と園田寿先生の証言には、私も共感する点が多々ありました。
また、皆様の主張の理論的根拠もよく分かった気がします。
 
一言だけ申し上げておくと、私がここで展開している議論=セーブザチルドレン・ジャパンの公式見解ではありません。
また、「非実在創作物の児童ポルノについては、法律では禁止規定にとどめ、実質的な規制は自治体の条例や業界の自主的な行動規範に委ねる」という提案も、私の試案であって、セーブザチルドレン・ジャパンとは全く関係がありません。
ただ、私個人としては、園田先生の議論(猥褻物は誰に対しても販売してはいけないが、有害図書は18歳以上の者には合法的に販売できるので、これを取り締まるには現行の日本の法制度の下では条例によるべきである)に現時点では賛成です。
また、猥褻性の3要素は規範的概念なので、名誉毀損と同じで、いくら説明しても完全に明確にはならないという園田先生の証言も妥当なものであると感じました。
同時に、上記の「最終取りまとめ」25頁にある「「わいせつ性」の定義には確立した判例があるが、個々のケースが判例にいう「わいせつ」に該当するかどうかは、見る者によって評価が分かれる余地があるため、違法性判断が難しい情報類型といえ、安易に規制を設けた場合には、表現活動の萎縮につながるおそれがあることから、慎重な対応が必要ではないかとの指摘がある」という記述には全面的に賛同します。
また、同報告書が、インターネット上の違法・有害情報を
(1)違法な情報
・権利侵害情報 名誉毀損、著作権侵害
・その他の違法情報 児童ポルノ、わいせつ物、麻薬売買の広告
(2)違法ではない情報
・公序良俗に反する情報 死体画像、自殺を誘引する書き込み
・青少年に有害な情報 アダルト、出会い系サイト、暴力的な表現
に分類している点は妥当ではないかと思います。
この分類に基づいて考えると、上記の区分における「わいせつ物」(違法な、その他の情報)に当る非実在創作物の児童ポルノ、あるいは、違法ではないが青少年に有害な非実在創作物の児童ポルノは論理的には考え得るが、いずれも違法性判断が難しい情報類型なので、法によって規制することについては慎重であるべきという結論になるように思います。
 
これまでの議論を振り返ると、実在児童に対する性的虐待・搾取の記録としての児童ポルノについては、定義について議論はあるにせよ、単純所持を含めて処罰の対象とすべきということについては、ほぼ合意があるように思います。
そして、非実在創作物の児童ポルノについては、基本的に法による規制については慎重であるべきだという点については私も同意します。
 
また、皆様が国家権力による表現の自由の規制を阻止するために、この問題に対して発言されているという意図もよく理解しました。
私も、この点については、全く同感です。
国家が、特定の価値判断を国民に対して押し付けるべきではないという主張はもっともだと思います。
但し、私は、一人ひとりの生き方、価値判断が尊重されるような社会を維持することが国家の役割であるというリベラリストの主張も、実は何がその社会にとって最高善と考えているか、というより高次の価値判断を背景に持っていると考えています。
しかし、これは、もはや、ここで議論すべきことではないと思います。
 
皆様。
貴重な時間を割いて、有意義なコメント、ご意見、そして情報提供をいただき、誠にありがとうございました。
総選挙が終わり、新たに国会が召集されれば、児童ポルノ等禁止法改正案が再び提出、審議されることになると思います。
国会での審議が中途半端なものではなく、きちんとしたものとなるように監視し、そのために多様な意見を届けるのは、国民主権国家の市民の責務だと思います。
私も、積極的に発言していきたいと思います。
 
これからも宜しくお願い申し上げます。
 
 
 
 
 
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児童ポルノ(15)非実在創作物としての児童ポルノ」への1件のフィードバック

  1. ひとまずこの話題は終わりなのだと解釈いたします。ありがとうございました。私は、至らないながらも日々考えておりました。今ここで話し合われていた、漫画・アニメ・ゲームといったものの他にも、いわゆる「青少年に悪影響を与える」とされるメディア媒体は、テレビ、ラジオ、映画、インターネット、ケータイなど数え切れずあります。明治時代においては、純文学でさえ青少年の心を乱すものだと批判されていたようです。どれも青少年が常日頃接し、良くも悪くも影響を受け、自らの思想や言動の血肉へと変換しています。それが今も昔も続く事実であり、創作物と青少年の率直で密接な関係であります。なぜとりわけ漫画・アニメ・ゲームに対して規制の声が大きくなるかといえば、正直に申し上げて、その業界における後ろ盾、つまり権力者との蜜月関係が薄いことに原因があると言えます。気を使うべき関係各所が無いところから順次潰していく、力のない者に対するパワーハラスメントに他なりません。実写でより過激なはずのアダルトビデオ創作物が警察官僚や暴力団の後ろ盾により守られ、権力関係に弱い漫画・アニメ・ゲーム業界だけがそのツケを一斉に背負わされるという、一種の階級社会が現に露呈しています。しかし、今話すべき問題はここではないでしょう。私の言いたいことは、”創作物全体に対する批判をどう見るか・考えるか”ということです。「青少年に悪影響を与える」とされるメディア媒体、もちろん猥褻な内容だけではありません、差別表現、暴力表現、反社会的行為表現、反宗教表現、人の死の表現、自殺表現、すべてにおいて「青少年に悪影響を与える」ものとして扱い、青少年の目に触れないようにする、端的に言えば、”隠蔽”するという社会的風潮にひどく疑問を感じるのです。昨今のマスコミ先導による批判・謝罪ブームが拍車をかけています。もちろん、それらは子どもが積極的に見るべきでないものです。汚れのない成長を望む者であれば、当然見せるべきではないでしょう。ですが、その”隠蔽=世界に存在しないものとして扱う”ことに、本当に意味や効力はあるのでしょうか。現実に現在進行形で、黒人が肌の色を理由に理不尽に虐められています、心身障害者の人がハンデを抱え苦労しながら生きています、学校や会社などで弱い者が不当な扱いを受けています、武力紛争により大量に人が死んでいます、不倫関係に陥った男女がセックスをしています、宗教対立により自爆テロが起きています、日本では行き苦により自殺する人が今年上半期で過去最高になりました。確かに、世界の汚れを知らないで育つことは”清い心の持ち主を作ること”が出来るかもしれません。ですが、それはまさに”子どもを「作る=製造する」ということに陥っている”と思います。それは決して”子どもを「育てる」ということではない”、単に”無知から来る博愛人間を製造しているだけに他ならない”と思うのです。今までの私のさせていただいたコメントにも書いていますが、”隠蔽”することからは何も得られません。この世界の過酷さ・悲惨さを根本から絶つためには、正しい倫理観で持って自ら判断できるよう育む教育しかないのです。時代がどう移り変わろうと、創作物から影響を受けようが受けまいが、人間は、人を殺します、人を差別します、嘘を吐きます、ふしだらな性行為をします。教育的倫理観から外れ実際に他人に危害を加える者を絶つのは非常に難しいことなのです。それが世界の真実。”隠蔽”することで、それらから子どもを隔離したり騙し切れるものではありません。”隠蔽=規制”することでは何も結果は得られないのです。創作物には決して悪は宿っていません。本当の悪は、教育の責任を転嫁し、悪を生成し、それを叩くことで解決した気になる単純な正義感そのものであると考えます。森田さんと意見を交わらせていただけたこと、とても貴重でした。重ねてありがとうございました。9月のご活動も大変そうですが、私も森田さんの行いを注視させていただきます、がんばってください。

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