儒教的自己は、権威主義的な社会において、積極的な自由を行使し得るほど、強くあり得るのか?

北京で開催された第24回法哲学・社会哲学国際学会連合世界大会での私のスペシャルワークショップ。
今朝、無事に終了しました。
私の報告原稿のタイトルは
です。
 
(犬さま、健さま、りすさま)
有益なコメントをいただいきながら、応答するのが遅れていて申し訳ありません。
いま、カミール・パーリア『セックス、アート、アメリカンカルチャー』(河出書房新社、1995年)を読んでおりまして、これを読み終わってから、自分の考えを書いてみようと思っていました。
もう少し、時間をいただけますでしょうか?
 
 
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