賀川豊彦『死線を越えて』復刻版(PHP研究所、2009年)

最近、久しぶりに賀川豊彦関連の本や資料を読み返しています。
 
あるところから頼まれて、「賀川豊彦、ユニセフ、子どもの権利条約」というお題で短い原稿を書いたのですが、そのための参考にするためです。
 
賀川豊彦先生は、2000年度『世界子供白書』が取り上げた子どものために活動した世界のリーダー50名の一人として日本から唯一選ばれた、子どもの活動にもたいへん大きな業績を残された方です。
1920年(大正9年)に出版された小説『死線を越えて』は、上中下3巻のうち上巻だけでも200版を重ね100万部が売れ、上中下の全部を合わせるお400万部を越える、戦前の大ベストセラーとなりました。
ちなみに、当時の日本の総人口は5596万3千人。
今の時代であれば800万部を超える売れ行きを示した作品というです。
 
賀川先生の体験に基づいて書かれたとされるこの小説の主人公は、キリスト教に目覚め、自らの崇高な使命を自覚しつつ、若者らしく試行錯誤を重ねます。
結核に冒されながら学問に精進し、そして、スラム街に直接乗り込んで、人々の支援活動に取り組み、やがて社会変革の必要性に目覚める様子が生き生きと描かれていています。
1920年といえば、大戦間の短い平安な時期。
日本では大正デモクラシーがつかの間の隆盛を見せていた頃です。
 
賀川先生は、国際社会では平和主義者としてもよく知られています。
しかし、戦後日本では、賀川先生のこの面での評価はあまり高くありません。
広島大学の布川弘教授によると、賀川先生は「国際平和を祈念する非暴力主義者であり、同時に天皇を崇拝する愛国者」だったそうです。
そのために、日中戦争以降の日本国内で出版された資料のみ見ると戦争協力と天皇制礼賛の発言のみが目立ちますが、同時期に欧米に発信し、欧米で受け止められたメッセージを分析すると、賀川先生が当時の欧米社会の良心的な平和主義を形作っていた国際的道義と連動して発言・行動していたことがよく分かるそうです。
(布川弘「1930年代における賀川豊彦の平和運動」『日本史研究』424号(1997年12月)
 
今、日本で私たちはどのように行動すべきか、賀川先生の足跡から学べることはたくさんあると思いました。
 
 
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