国際化ということ

Save childrenさま
ご質問、ありがとうございます。
私はリオ会議では直接子どもプログラムの担当を務めたわけではありませんので、あの会議に参加した子ども達が子どもを性的に虐待している漫画やアニメを見た上で、その規制を求めたのかどうかは分かりません。
ただ、ひとつ言えるのは、リオ会議に参加していた子ども達は世界の子どもたちの意見を代表しているわけではないということです。
大人と同様に、子どもたちも多様な意見を持っていて、その中の一部の子ども達は子どもを性的に搾取している内容の漫画やアニメを規制すべきであると考えたということです。
当然のことですが、彼らの思想、良心、表現の自由は尊重されるべきだと思います。
ただ、彼らの意見がリオ宣言という形で取り上げられ、国際的に多くの賛同を得れば、それがde facto standard(事実上の標準)になっていくことは自然なことだろうと思います。
 
もし、その動きに反対なのであれば、世界に向けて自分の主張を発表して、多くの賛同者を得る以外にはありません。
その際、英語でないと自分の意見が伝わらないというのは多くの日本人にとってたいへんなハンディキャップですが、それは日本が明治以来つねに直面してきたことで、今のところ受け入れざるを得ない国際政治上の現実です。
そして、海外で決まったことが日本の私たちの日常生活を直撃する度合いが近年急速に高まっていることは間違いありません。
これは、是非の問題ではなく、世界の趨勢だと私は思ってます。
 
 
 
 
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国際化ということ」への2件のフィードバック

  1. 情報感謝いたします。ところで子ども権利というのはキリスト教と不可分の関係にあるように見受けられます。賀川豊彦氏然り、ECPAT然り、ワールド・ビジョン然りです。しかしながら、日本はキリスト教国家ではありません。かかる状況下において、日本においていかに子どもの人権が基礎付けられるとお考えですか?

  2. 森田先生のおっしゃることを要約すると、「国際会議に招待されない人間は招待される人間の決めることを黙って受け入れろ」ということですね。よく分かります。

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